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ジャーナリスト浅野詠子

郡山城跡、国史跡“昇格”から2年 旧来の「県史跡」案内板、奈良県がようやく撤去

「県指定史跡」の案内板があった郡山城跡の入り口。手前の砂利が敷かれている所に立っていた=2025年3月27日、大和郡山市、浅野詠子撮影

「県指定史跡」の案内板があった郡山城跡の入り口。手前の砂利が敷かれている所に立っていた=2025年3月27日、大和郡山市、浅野詠子撮影

 戦国時代に筒井順慶や豊臣秀長が整備し、貴重な城郭遺跡としての価値が評価され2022年11月、県史跡から国史跡に“昇格”した奈良県大和郡山市の郡山城跡。しかし、以降も2年間、入り口の案内板の表示は旧来の「県指定史跡」のままだったが、県文化財課はようやく「現状にそぐわない」としてこの案内板を撤去した。

 撤去は昨年12月26日。立っていた案内板は約1.2メートル四方。郡山城築城の様子をはじめ大坂の陣などを経て、享保9(1724)年から城主柳沢氏の居城として幕末まで栄えたことが記されていた。

 城跡はサクラの名所としても名高く、多くの来訪者でにぎわう「大和郡山お城まつり」の2023年、2024年の開催中も「県史跡」(1960年指定)の表示のまま。市によると、2023年度は26万8000人(推計)が城跡観光に訪れた。

 案内板の表示が旧来のままになっていることを指摘する「奈良の声」の報道(2024年11月5日付)がなければ、今春の「お城まつり」も引き続き「県史跡」の案内板が立っていた可能性があった。

 国史跡の指定を受けると、石垣の修繕などに最大で2分の1の国庫補助が付くほか、県の助成もあり、市町村の負担は総事業費の35%程度。指定を受けた当時、上田清市長は「市にとって長年の悲願が現実となった」とコメントを発表した。

 一方、世界遺産や国宝の建造物に恵まれた県内と、そうでない他県とを比べると、城跡などの国史跡を希求する関係者の熱意には多少の温度差がありそうだ。

 城跡の整備を進める大和郡山市まちづくり戦略課文化財保存活用係は「県史跡の看板があった場所と同じ位置に新しく看板を設置する予定はない。史跡内の看板については、その内容や設置位置も含めて、現在市で検討している」と話している。

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