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ジャーナリスト浅野詠子

志賀直哉の孫が交流の逸事など語る 奈良で写真家・入江泰吉旧居開館10周年記念行事

奈良市高畑町の志賀直哉旧居の映像を前に思い出を語る孫の山田裕さん=2025年10月12日、奈良市水門町の東大寺金鐘ホール、浅野詠子撮影

奈良市高畑町の志賀直哉旧居の映像を前に思い出を語る孫の山田裕さん=2025年10月12日、同市水門町の東大寺金鐘ホール、浅野詠子撮影

 大和路の味わい深い風景を撮り続けた入江泰吉の旧居(奈良市水門町)の開館10周年と生誕120年を記念したトーク行事「語り継ぐ、入江泰吉が生きた奈良」(奈良市など主催)が10月12日、同市の東大寺金鐘ホールで開かれ、入江と交流があった志賀直哉の孫、山田裕さん(74)=東京都目黒区在住=が出演した。山田さんは終戦間もないころの逸事などを興味深く語った。140人が参加した。

 山田さんは志賀の5女田鶴子の長男。幼いころは祖父が著名な小説家であることを知らなかったが、小学校の3、4年生のころ、学校の教科書にその名があり、認識したという。

 一方、入江と志賀との出会いは終戦間もないころにさかのぼる。大阪大空襲で写真店と自宅が全焼した入江は郷里の奈良に身を寄せていたが、東大寺観音院住職で後の別当になる上司海雲の紹介で志賀を知った。終戦直後、貴重な仏像が敗戦の賠償金代わりに接収されるとのうわさが流れ、衝撃を受けた入江はそれらを記録することを決意、以降、奈良県内の風景や仏像の撮影に専念することになった。

 志賀は1938年、13年間住んだ奈良を離れ、東京都内、静岡県熱海市内に移転したが、なじみの歯医者が奈良市内にあった。上司や画家、文士らと旧交を温めた奈良の地を好んで再訪した。作品にはそうした奈良との関係が表れている。

 山田さんによると、1946年、観音院に来た志賀を撮った入江の写真に写る白磁の大きなつぼは、志賀が上司に贈ったもので、後に盗難に遭って破損、粉々になったが、大阪市立東洋陶磁美術館が見事に修復し、現在も同美術館で鑑賞できるという。

 山田さんは「現代の20代、30代の若者は志賀直哉の名を聞いても反応しなくなった。デジタル技術を駆使して祖父の足跡を伝えたい。生涯23回も転居したので、それぞれのゆかりの土地、食事をした場所などを紹介し、親しみを持ってもらえたら」と語った。

 トークには東大寺長老の筒井寛昭さんも出演、入江泰吉の世界を語った。筒井さん自身も写真の趣味歴が長く、若いころから暗室でのフィルム現像にも親しんできた。入江は、明日は雪になりそうだという天気予報があると、次の日、早朝から極寒の東大寺境内で撮影のタイミングをじっと待ち続けたという。筒井さんはそうした入江の姿を見かけたという。

 飛鳥川の流れを躍動的に撮影した作品も印象深いといい「やみくもにシャッターを押して、より優れた1枚を選んだのではなく、撮る前に頭の中にしっかりと入っている風景を写し、これが傑作になったのだと思う」と語った。

 聞き手は入江泰吉事業コーディネーターの倉橋みどりさんが務めた。

 記念行事の一環として、入江と長い友情を保った上司海雲ゆかりの東大寺観音院で、入江の写真展「観音院に集った人々」が10月10日から開かれている。観音院は、志賀直哉の「高畑サロン」の一部を継承した文化サロンともいわれる。訪れた多彩な文化人の姿を入江が捉えた。13日、17日、18日、19日のいずれも午前10時から午後4時まで見学できる。入場場は500円。

 入江は生前、全作品約8万点のフィルムを奈良市に寄贈することを申し出、1992年に他界。妻が2000年、自宅を同市に寄付した。

上司海雲に贈った白磁のつぼと共に写る志賀直哉(1946年)=写真左手前=などが展示されている写真展「観音院に集った人々」=2025年10月12日、奈良市雑司町の東大寺観音院、浅野詠子撮影

上司海雲に贈った白磁のつぼと共に写る志賀直哉(1946年)=写真左手前=などが展示されている写真展「観音院に集った人々」=2025年10月12日、奈良市雑司町の東大寺観音院、浅野詠子撮影

筆者情報

まちかど探訪)志賀直哉らゆかりのまち、塀もバラエティー豊か 奈良市高畑町 伝統と近現代が共存

バラエティーに富んだ奈良市高畑町の塀、浅野詠子撮影

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