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ジャーナリスト浅野詠子

奈良・郡山城下、江戸時代水道の記憶「七ツ井戸跡」石碑撤去 県道拡幅工事で 所有者は分からず

撤去前の七ツ井戸跡の石碑=奈良県大和郡山市植槻町、2017年7月、浅野詠子撮影

撤去前の七ツ井戸跡の石碑=奈良県大和郡山市植槻町、2017年7月、浅野詠子撮影

 江戸時代に郡山城下を潤した水道の歴史を伝えていた奈良県大和郡山市植槻町の「七ツ井戸跡」の石碑が4年前の2022年3月、県道城回り線の拡幅工事に伴い撤去されていた。石碑の所有者は分からなかった。

 郡山城跡の前にあった石碑で、今から40年ほど前に建立されたとみられる。

 同市発行の「ふるさと大和郡山歴史事典」によると、元禄以前から、郡山城の左京堀の北岸に七つの井戸があった。絶えず清水が湧き出て、ヒノキ材の角樋(かくどい)から約20メートルの落差を利用し、本町や塩町などの武家屋敷や有力商人方に給水されていたという。

 元禄2(1689)年には、水源付近で新たな井戸掘りが行われ、この水を希望した町人4人が施設費を負担することで給水が許可された。郡山藩は「水道元」という職務を与え、水道業務を担わせていた。寛政年間になると、設備が拡張され、湧水を貯留する溜井戸(ためいど)が33カ所もあったという。

 実際に七ツ井戸があった地点は、石碑のあった場所から東の、現在の同市北郡山町辺りとみられる。戦後の開発で完全に消滅したと同事典にある。

 石碑の近くには今年3月まで市営北郡山浄水場が操業し、地下水を水道水源にしていた。市が県域水道一体化に参加したため、同浄水場の給水エリアには大滝ダムの水が送られることになり、同浄水場は廃止された。

 県郡山土木事務所幹線建設課によると、石碑には建立当時の市長の名前が刻まれていたため、大和郡山市に相談した上で撤去し処分した。再建の予定はないという。市は「市の所有物ではない」としている。

 市観光協会がホームページで公開している「城下町ぶらっと散策マップ」(2026年の調査に基づく)には七ツ井戸跡が出ている。同協会は「再度、現地を確認の上、修正を検討する」としている。

 近所の人は「石碑のあった所は、実際の七ツ井戸があった地点は異なると聞いていたので、撤去されても抵抗感はなかった」と話した。

拡幅工事中の県道城回り線。七ツ井戸跡の石碑は写真の左の方にあった=2026年10月9日、浅野詠子撮影

拡幅工事中の県道城回り線。七ツ井戸跡の石碑は写真の左の方にあった=2026年10月9日、浅野詠子撮影

筆者情報

奈良・郡山城跡の解説板表示、旧来の「県史跡」まだ残る 国史跡“昇格”から4年

「奈良県指定史跡」の表示(左端)がある解説板に見入る郡山城跡の来訪者=2026年9月13日、奈良県大和郡山市、浅野詠子撮影

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