三宅ボランティアガイドの会が勉強会 地元・瓢箪山古墳の発掘成果報告に町民ら47人
勉強会で瓢箪山古墳の発掘担当者の説明に耳を傾ける町民ら=2016年4月2日、三宅町伴堂のあざさ苑
発掘調査が行われた瓢箪山古墳。調査のため墳丘を覆っていた樹木は取り除かれた=2016年4月2日、三宅町伴堂
奈良県三宅町の「三宅ボランティアガイドの会」(片岡嘉夫会長、57人)が2日、同町伴堂の町保健福祉施設あざさ苑で、地元、瓢箪山(ひょうたんやま)古墳の発掘調査の成果について学ぶ勉強会を開いた。調査に当たった町担当者の報告に、町民ら47人が熱心に耳を傾けた。
同会は、町を訪れた観光客に歴史遺産を紹介するなどの活動をしている。同町伴堂の同古墳では、墳丘の規模と周濠(しゅうごう)の有無の確認を目的に第1次調査が行われ、ことし2月に記者発表があった。勉強会は、貴重な機会だからと町民にも公開した。
瓢箪山古墳は、三宅町を中心に川西町、田原本町にまたがる三宅古墳群の中にある前方後円墳。三宅町一帯は、古墳時代のヤマト王権の直轄地「倭屯倉(やまとのみやけ)」の想定地とされていることから、古墳群はこれとの関わりが指摘されている。
調査に当たった町地域活性課の安原貴之さんが講師を務めた。安原さんは、土の下から見つかった墳丘の裾の位置や出土した埴輪(はにわ)の特徴などから、墳丘の長さは40メートルで、周りを幅6~10メートルの堀が巡っていたことが確認でき、築造は6世紀前半と推定されると説明。被葬者については、ヤマト王権と関係が深く、朝鮮半島と関わりのある人物が浮かんでくると述べた。
安原さんは、調査の経過についても、墳丘の裾や埴輪、土器の破片が土の下から姿を現したときの状況、発掘作業の様子を写真で見せるなどして、丁寧に紹介した。
参加者の関心は高く、「古墳内部の調査はできないのか」「見学路や案内看板を付けてほしい」「周りに集落はなかったのか」など、今後の調査や活用を期待する質問や意見がいろいろあった。
三宅古墳群は17基の古墳が確認されているが、有力者の古墳であることを示す前方後円墳が8基と割合が高いのが特徴で、こうした古墳群は非常に珍しいという。しかし、同町では古墳の考古学的調査は今回が初めて。ボランティアの会の片岡会長は勉強会閉会のあいさつで、今後の調査への期待を述べ、「観光客に来ていただけるよう活動していきたい」と話した。