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発行者/奈良県大和郡山市・浅野善一

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コラム)本土にとって沖縄とは―「外地差別」を考える/政治と憲法の風景・川上文雄…32(最終回)

金城次郎(きんじょう・じろう、1912~2004年)の鉢。沖縄県那覇市生まれ。1985年、琉球陶器で人間国宝(沖縄初)。2012年の沖縄旅行で購入、めん類の器などに使っている

金城次郎(きんじょう・じろう、1912~2004年)の鉢。沖縄県那覇市生まれ。1985年、琉球陶器で人間国宝(沖縄初)。2012年の沖縄旅行で購入、めん類の器などに使っている

 今年は沖縄の本土復帰50周年。報道で知って以来、今も忘れられない事件があります。2016年10月18日、沖縄本島北部の東村(ひがしそん)。米軍の北部訓練場(ヘリパッド)工事現場。施設の建設に抗議している人たちに対して、現地に派遣されていた大阪府警の機動隊員(公務員)が「土人」「シナ人」という差別的な呼称を投げつけた。沖縄の人を異国の人(異民族)、外地の人とみなして差別した事件です。

 個人の差別意識だけではありません。そもそも基地問題の根底にあるのが外地差別です。本土の都道府県とは比較にならない量と質の米軍基地によって、沖縄県全体(とくに沖縄本島)は苦しめられている。つねに命の危険にさらされている。基地は自分たちの手で豊かな地域づくりを追求するうえでの障害にもなっている。本土から遠く離れた外地として差別されている。

 沖縄差別を外地差別という視点で取りあげます。外地差別をなくすにはどのように考えていけばいいかについては、憲法「前文」をヒントに考えてみました。

戦前から引き継ぐ

 関東から関西の奈良市に移り住んで35年の筆者には初耳の話。この夏に読んだ本から知りました。戦前、仕事を求めて海を渡り大阪に来た沖縄の人たちが見た「職工募集」の貼り紙。そこにあったのは「但(ただ)し朝鮮人、琉球人お断り」の文言。アパートを借りようとしても「朝鮮人、琉球人はお断り」の文字。金城馨(きんじょう・かおる)「沖縄人として日本人を生きる」(解放出版社、2019年)の記述です。

 以上から、冒頭で紹介した2016年の事件は戦前の差別意識を引き継いでいたことが推察できます。貼り紙は、沖縄人と朝鮮人をともにかつて外国だった地域から来た人(外地の人、異民族の人)として差別したのです。

 日韓併合(1910年)と同様の沖縄(琉球)併合という出来事があります。徳川時代初期から島津藩に支配されていたとはいえ、琉球王国として存在していた沖縄。1879年に明治政府が武力を用いて沖縄県として日本領土に編入、琉球王国は消滅します。

暴力は究極の差別

 通常、暴力行為を差別行為とは言わない。しかし、それは究極の差別行為ではないでしょうか。相手を軽んじる心、劣ったもの・支配されるべきものとして見下す心が暴力行為をもたらす。相手を対等な存在として敬意をもって接すれば、そんなことにはなりません。外地として沖縄は軽んじられていた。その素地があって、沖縄戦のさなか、日本軍による沖縄住民への暴力が発生した。

 「全ての都道府県から沖縄にきた多数の将兵のために、建物が接収され、食糧が要求された。美里村泡瀬の漁業組合長は、部隊長から日本刀を抜いて首筋に突きつけられ、『魚をとってこい』と脅迫された。畑で芋泥棒をしている兵士を捕まえると、『皇国軍人を捕まえるとは何たることだ。軍法会議に回してやる』とやはり脅迫された。主計中尉は農業会の職員に『老人や子供は餓死させてもかまわない。戦う軍人の為(ため)に食糧を確保せよ』と命令した」(林博史「沖縄戦が問うもの」を引用した藤原辰史の文章、毎日新聞「月刊・時論フォーラム」2022年5月26日)。

他国を無視しない

 沖縄の外地差別を考えるための基本として、筆者は憲法「前文」の以下の箇所に注目します。「われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等の関係に立とうとする各国の責務であると信ずる」

 自国の利益を優先してアジアの他国を無視、侵略した戦前の日本を反省したのです。筆者が下線を付けた語句はGHQの憲法草案(英文)には対応する語句がないので、日本側が自主的に追加したものと判断されます。この追加によって、「約束」としての強さと真実さが表現されることになったと言えるでしょう。(「追記(2)」を参照)

 沖縄が外国・外地であった歴史をふまえて、この「他国」に沖縄を含めたいと思います。本土のことのみに専念して、沖縄を「外地」として無視するようなことはしない。そうした約束の観点から本土と沖縄の関係を見ていくと、憲法公布の1946年から本土復帰後50年を経た現在まで、「約束」は宙に浮いたままであると言わざるをえません。

 1952年のサンフランシスコ講和条約で日本は主権を回復。しかし、それにいたるアメリカとの政治交渉のなかで、沖縄を本土から切り離しアメリカの施政権下におき「外地」にすることで、日米の利害が一致した。そして米軍は1953年4月に「土地収用令」を公布して、県民の土地を暴力的に接収。「米軍は土地と家屋と生活を守ろうと抵抗する住民に対しては武装兵を出動させて土地から追放し、ブルドーザーを使って家屋を押しつぶしながら軍用地として土地の強制接収を進めた」(ウィキペディア「銃剣とブルドーザー」より)。占領当初の土地接収(強制移住)に続く、暴力的な土地収用でした。

 本土復帰後はどうか。本土とは比較を絶する規模の米軍基地が今なお存在します。日本の国土面積0.6%の沖縄県に70%以上の米軍基地。さらに飛行訓練の中身の質的な違いがあります。参加する航空機の数、訓練頻度、市街地での低空飛行。県の地上面積の18%を占める基地というけれど、訓練航空域の広さは18%どころではない。占領期以来の空域の自由使用の状態が続いています。

 その意味で、アメリカ施政権下の時期から変わらず、沖縄は日本のなかの「外地」である。1952年当時の「本土の利益優先」という基礎のうえに現在の状態がある。「約束」は宙に浮いたままです。

歴史を無視しない

 この現状をしっかり把握すること。つまり、「本土と沖縄の関係は対等」を基本として、沖縄の歴史、とくに沖縄戦以後の現代史(現在を含む)をていねいに少しずつ深く知る努力をすること。それが外地差別を脱するための第一歩だと思います。

 沖縄に暮らす人たちを対等な存在として認めて、その歴史と経験をていねいに考えることは、沖縄に「敬意を払う」ことを意味します。それがなければ「敬意の欠如」です。辺野古基地建設反対の座り込みに対してひろゆき氏がそれを揶揄(やゆ)する発言をしたことについて、玉城デニー沖縄県知事が「現場で3000日余り抗議を続けてきた多くの方々に対する敬意は感じられない。残念だ」と発言しました。知事の「敬意」という言葉には、筆者が定義する「歴史への敬意」の意味が含まれていると思います。

 「反対運動する人たちの行動と言葉づかいが問題だ」ということでひろゆき氏の発言に賛同する人たちがいます。沖縄の歴史という大きな事実を忘れてほしくありません。

 「自分が生まれていなかった時期のことは関係ない、よくわからない、知る必要はない」と無視するわけにはいきません。それを言うと、その人の思考のなかでその時代の沖縄は「外地」になってしまいます。たとえあからさまな差別発言・行為でない場合でも、沖縄の歴史をふまえない発言・行為には「自分とは関係ない」の意識が潜んでいると思います。聞きたくない言葉です。誰からも、とくに政治家(大臣・議員)からは。

【追記】

 今回で連載「政治と憲法の風景」は終わりです。コラムをお読みくださった方々に深く感謝いたします。

 2020年3月まで大学で政治学分野の授業科目を担当していましたが、授業で沖縄のことを取りあげた記憶がありません。昨年までは、ていねいにメモをとりながら読んだ本が1冊もありませんでした。第2次安倍政権以来の沖縄政策(とくに辺野古基地建設)を目の当たりにしてきて、さすがにこれではいけないと思いました。今年になって読んだ沖縄関連の本・雑誌論考・新聞記事などから知ったことを中心にいくつかお伝えします。ご参考になれば幸いです。

(1)建設中の辺野古基地について。基地負担の軽減にはならないこと。山崎雅弘のツイート(2015年8月18日)から。「在京の大手紙は『普天間の辺野古移転』という表現を使うが、沖縄では『新基地建設』と呼ぶ。普天間から辺野古への移転と『抱き合わせ』で、飛行場と軍港という『新基地』が建設される。この構図が示す通り、単なる『移転』『普天間の負担軽減』という言葉は問題の核心を捉えていない」

 無謀な工事であること。「辺野古新基地 識者が見た『無謀な工事の姿』」(琉球朝日放送https://www.qab.co.jp/news/20200922129489.html)のなかに以下の記述がある。「『前代未聞の難工事』とも言われる辺野古の地盤改良工事。国は埋め立て予定海域の大浦湾に広がっている軟弱地盤、66haの範囲を固めることにしていて、およそ3年半かけて、砂の杭(くい)など7万1000本を打ち込む計画です」。「難工事」というよりも、タイトルにあるとおりの「無謀な工事」。

 さらに、地盤工学の専門家の見解を紹介した以下の記述がある。「軟弱地盤は世界でも工事の実績がない『水深90m』まで達しています。それが難工事だと言われる所以(ゆえん)で、国内には水深70mより深い場所に対応できる作業船がありません」。つまり、工事完了の見通しはあるのか、「完了」後は実際に使用可能であるのか。そのような工事に莫大(ばくだい)な金をつぎ込んで沖縄の豊かな発展につながるのか。いくつもの疑問が浮かんでくる。

(2)憲法「前文」の「約束」について。コラム本文に書いたように、この約束は自主的だった。自主的でなかったと主張するのであれば、以下のように考えなければならない。「GHQ草案にはないけれど、草案提示の後に日本政府に指示して、日本語版(正文)に付け加えるようにさせた」。しかし、そうとは考えにくい。なぜなら、「そうであれば、その指示は日本政府が策定した英語版に反映されるはずなのに、そうしていない」からである。

 GHQ草案の該当部分は以下のとおり。日本語の憲法「前文」は下線をつけた2つの部分に語句を追加したということである。

we hold that no people is responsible to itself alone, but that laws of political morality are universal; and that obedience to such laws is incumbent upon all peoples who would sustain their own sovereignty and justify their sovereign relationship with other peoples.

 第1の下線は日本語憲法の「自国のことにのみ専念して」に対応する語句。ところが、日本語憲法の「他国を無視してはならないのであって」という語句に対応する英語が存在しない。第2の下線は日本語憲法の「他国との関係」に対応。ところが、日本語では「対等の関係」となっている。この「対等」に対応する英語が存在しない。

(3)憲法の「約束」が宙ぶらりんになっている原因について。参考文献として矢部宏治「日本はなぜ、『基地』と『原発』を止められないのか」(集英社インターナショナル、2014年)。1952年の講和条約にいたる日米両政府の交渉を論じた箇所。日本側の都合あるいは日米の利害の一致により、沖縄を本土から切り離したことの詳しい記述がある(とくに250ページ以下)。この時点で憲法「前文」の約束が反故(ほご)になった。

(4)沖縄戦の犠牲者について。「沖縄戦では、本土から来た約6万5000の兵隊と、沖縄出身の兵隊約3万、それに民間人約9万4000人が犠牲になったといわれる。そのほかに、朝鮮半島から軍夫やいわゆる『従軍慰安婦』として強制連行されてきた約1万人の人びとが犠牲になったといわれている」(新崎盛暉「日本にとって沖縄とは何か」岩波新書、2016年、4ページ)。沖縄出身の兵隊約3万は「現地招集」(同書、3ページ)。日本軍の兵士はほぼ全滅。アメリカ軍は約54万人が沖縄島周辺に結集。戦死者(行方不明を含む)は約2万人。

川上文雄

かわかみ・ふみお=客員コラムニスト、元奈良教育大学教員

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