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発行者/奈良県大和郡山市・浅野善一

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コラム)自分のこころを冷やさない:佐藤春菜さんから届いた言葉/川上文雄のじんぐう便り…12

佐藤春菜(さとう・はるな、1990年生まれ)「かんしゃになろうよ。こころで、」(2017年刊)。左は裏表紙、右は15ページに収録の画像

佐藤春菜(さとう・はるな、1990年生まれ)「かんしゃになろうよ。こころで、」(2017年刊)。左は裏表紙、右は15ページに収録の画像

 その言葉は「自分のこころから、あたためな」。がんと診断された後、強い不安に苦しみ、悲観的な思いで自分のこころを冷やしていたとき、この言葉に出会い、苦境をしのぎました。知ってほしい人がいます。1990年大阪に生まれ、ダウン症を生きる佐藤春菜さん。紹介したい本があります。春菜さんのことがよくわかる「かんしゃになろうよ。こころで、」(2017年刊)。その本のその言葉に救われました。

 読者のみなさんもそれぞれの事情に応じて―がん患者だ、強い不安に襲われたなどに関係なく―春菜さんの言葉を身に染みて受けとめる機会があるかもしれません。私の経験を語りながら、春菜さんの言葉のちから―言葉に込めた春菜さんの思い―についてお伝えします。

 佐藤春菜さんはどんな人なのか。本の冒頭の「プロフィール」から引用します(一部の語句と文を省略)。「小学校4年生から父親と交換日記を始め、同じフレーズを毎日のように書いている」「1997年、『アトリエひこ』に参加。筆に絵の具をつけてふり散らすドリッピングと、色紙を細かく切って紙吹雪を散らすのが大好きで、それを繰り返している」「障害者の事業所に通いながら休日はダンスやテニス、ドラムを楽しみ、アトリエで作詞し歌い、サッカーやプロレスの試合を観戦応援する」

 春菜さんは長年、ちいさなノートや紙片に短い語句・文、長めの文章(詩)を書きためてきました。そのなかから選んだノートや紙片を写真に撮り、本にまとめたのが「かんしゃになろうよ。こころで、」です。本の1ページ分を使って「自分のこころから、あたためな。」の紙片がしっかり収まっています。

 この言葉に出会ったのは、ごく最近のことです。3月に前立腺の全摘除手術を受けました。前立腺がんと診断されてから、追加の検査を受け、手術を待つ2か月ほどのあいだ、強い不安にさいなまれた時期がありました。

 比較的初期のがんで、転移なしという診断。しかし、過度に心配しがちな私は安心できませんでした。にわか勉強で知識をためこんで、あれこれ最悪の事態を考えてしまいました。「前立腺がんには進行の速い種類もある」「手術後に再発する人も結構いる」。それに、初めての本格的な手術。不安に後悔も加わりました。「最善のことをしてこなかった」「情報不足だった、もっと早く気づけたはずだ」。にわか勉強はその反動でした。

 がんの専門家(医師)の本をいくつか読みました。「なるほど」と思える記述もありました。たとえば「どうすることもできない過去を後悔しても仕方ない」し、「まだ確定していない未来についていたずらに不安を募らせてはいけない」のだから「今できることをやろう」という記述。しかし頭で理解できても、不安は強すぎて消えません。

 「そんな考えで手術日まで精神と体力がはたして持つのか」。ますます不安になり自滅しそうになっていたころ、7年前に購入していたその本を開きました。そこに「自分のこころから、あたためな。」の紙片を見つけました。手術当日をおだやかなこころで迎えることができたのは、その言葉のおかげです。

 「自分で自分のこころに冷え冷えした悲観的な考えを吹き込んではいけない」という思いに抵抗もなく、自然と導かれていきました。この言葉をこころのなかで唱えて「冷気」を阻止しよう。また、その言葉どおりに、散歩しながらおだやかな声で「大変だね。この状態のままじゃ、まずいよ。なんとかなるよ」と自分のこころに暖かい言葉を吹き込んだりもしました。こんな簡単な言葉でも、小さい声でささやくだけでも、落ち着きました。

 専門家の言葉だって「(根拠のない不安と無益な後悔で)こころを冷やすな」という趣旨に近いことを言っている。しかし、頭で理解するにとどまった専門家の言葉とは違って、春菜さんの言葉には私を引きよせる力、こころに届く浸透力がありました。

 退院後にあらためて本を開きました。本には写真のページとともに、春菜さんの日常の様子を記した「挿話」のページがあり、今度はしっかりそれを読みました。いくつかの挿話が春菜さんの表現活動の現場の様子を伝えています。

 実際に読んで、春菜さんのノートや紙片に言葉を書きつけるときの思い・姿勢を知ることができました。手術前は、それをまったく知らずに春菜さんの言葉に引き寄せられていたのですが、いまようやく「その思いと姿勢こそ、言葉の引力(浸透力)を生み出す根源である」と知り、私を救った言葉の豊かさ・奥深さに気づきました。

 「挿話」を執筆したのは、本の編者の一人、春菜さんに長年寄り添ってきた「アトリエひこ」の中心的スタッフの石﨑史子さん。以下、石﨑さんの文章を引用しながら書きます。

 家でもひとり小さなノートにせっせと書いている春菜さん。ひたむきに繰り返す姿勢。それを伝える以下の「挿話」を読むと、私は畏敬の念をいだかずにはいられません。「単語が延々と並ぶ。歌のタイトルがひたすら160個羅列してある。すべておもいつくまま書いていったものだ。圧倒的な集中力でていねいに止まることなく、紙がなくなるまで書き続ける。声に出してみると聞こえてくる力強い音の響きとリズム。ひたむきにこの世界を歌として捉えようとしている」(36ページ)。

 でも、春菜さんはひきこもって(内向きに)書いているのではありません。「東日本の大きな地震のあと、『地震のひとへ』として毎日歌のタイトルを何十個も綴(つづ)り、それは今も続いている。…書くことがそのまま『地震のひと』へ通じているのだろう。春菜ちゃんは『地震のひと』のことをずっと気にしている」(57ページ)。

 これを読んだら―春菜さんは私個人を思い浮かべていなくて、私の一方的な思いにすぎないけれど―春菜さんから気にかけてもらっていると思いたくなってもいいでしょう。「自分のこころから、あたためな。」は私宛ての言葉だったと思えてきます。

 アトリエの仲間たちに向けても書いています。「アトリエの友達は、ちょっと元気がないとき、人生の節目を迎えようとしているとき、春菜ちゃんに自分宛のスローガンを書いてほしいと頼む。春菜ちゃんは『うん、ええよ』と、友達の置かれている状況を知ってか知らずか、とても的確なスローガンを書いてあげる。文字を読むことができない友達がほとんどなのだが『おー、すごい。はーちゃん、ありがとう』と、大事にスローガンを持ち帰っている。みんな春菜ちゃんのスローガンのちからを信じ切って疑わない」(10ページ)。

 私もアトリエの友達になったつもりになりましょう。自分宛てのスローガンを書いてと春菜さんに頼んだら、あの言葉を書いてくれた。想像して楽しくなります。

 「自分のこころから、あたためな。」は佐藤春菜さんと石﨑史子さんが2人で届けてくれた言葉です。いや、アトリエの仲間も忘れてはなりません。春菜さんの表現活動の現場にいる、いわば「伴走者」なのですから。

 専門家である医師が書いたがんの本からも、いろいろ教えてもらいました。その隣り合わせの世界に春菜さんがいます。私にはどちらも大切。だから、春菜さんの思いと言葉をもつお医者さんがいたらいいな、と思います。

(随時更新)

川上文雄

 かわかみ・ふみお=奈良教育大学元教員、奈良市の神功(じんぐう)地区に1995年から在住

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