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発行者/奈良県大和郡山市・浅野善一

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コラム)選挙権は1本の「蜘蛛の糸」/川上文雄のじんぐう便り…13

にんにくの花(撮影日2024年6月16日)

にんにくの花(撮影日2024年6月16日)

 芥川龍之介の短編小説「蜘蛛の糸」(くものいと)。地獄で苦しむ犍陀多(かんだた)を極楽に導くために、お釈迦(しゃか)さまが垂らした1本の糸。極楽に向かって蜘蛛の糸をのぼっている途中、ある言動をおこなったのと同時に糸が切れてしまい、地獄に逆戻り。極楽にたどり着けませんでした。この短編につなげながら、このところ選挙について考えています。

 犍陀多がとった「ある言動」とは、地獄の住人たちがつぎつぎに1本の糸をのぼりはじめたことに気づいて「この蜘蛛の糸は己のものだぞ。お前たちは一体誰に尋(き)いてのぼって来た。下りろ、下りろ」とわめいたことでした。選挙で1票を投じるとき、犍陀多と同じような考え方で投票したらどうなるのか。めざす行き先にたどり着けなくなるのではないでしょうか。

 その「行く先」とは? 以下のようなことです。選挙権は「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果…侵すことのできない永久の権利として(国民に)信託された」権利(憲法97条)の1つ。それは、お釈迦さまが垂らした1本のくもの糸のようなもの。選挙権を行使して(糸をのぼって)めざす「行く先」は、極楽とまでは言えないけれど、すぐに思いつくのは「誰もが住みよい国、幸せになれる国」。誰一人取り残されることなくこの糸をのぼっていけるはず。

 次に、「犍陀多と同じような考え方で投票したら」とは、どのようなことなのか。犍陀多は自分が極楽に行くことだけを考えた。この糸は自分だけのものと考えて、他の地獄の住人たちを排除しようとした。糸の強さを信じることなどできなかった(無理もありません)。「本当に、自分だけの糸なのか」と問い直すことがなかった(とても難しいことです)。自分の利益だけを追求した(これは事実です)。

 選挙で投じる1票も「自分だけのもの」。そのことを疑う余地はなさそうです。誰からも干渉されない。いや、それとも投票には「自分の利益だけ考えて投票すればいい」とは言い切れない要素があるのでしょうか。つまり、自分の利益に制限を加えなければならない。めざす場所にたどり着くために「選挙権は自分だけの利益を考えて行使してよいものか」と問い直すべきである。

 「自分の利益だけ考えて投票する」を考えるうえで、参考にしたい事例があります。神戸市立の中学校で「男子生徒の頭髪は丸刈り」という規則が問題視され始めたころの新聞報道で知った事例です。丸刈りの中学生の意見。「自分は運動系のクラブをやっているから丸刈りで問題ない」

 丸刈り容認の中学生は、出発点で何も間違っていない(地獄の苦しみから解放されたいという犍陀多の思いも出発点として真っ当です)。しかし、その先どう考えるか。他の人のこと、クラブ活動とは関係ない人のことは考えなかった。「自分は丸刈りでいい、でも他の人のことも考えたい。だから自由に選べるように規則は変えた方がいい」とは考えなかった。

 丸刈り容認の中学生のような考え方で選挙・投票にのぞむと、どんなことになってしまうのでしょうか。以下の場合を想定してみました。起こりがちなことだと思います。

 各政党・立候補者が選挙公約を示しながら競い合っている。程度の差はあっても、ほとんどが(とくに全国政党の場合)総花的な選挙公約。だから、たいがいの有権者は自分の利益になる政策を何か1つ2つ(それ以上?)見つけることができる。総合的に判断して、自分の利益を最大限にできそうな政党・候補者を選ぼうとする。

 しかし、自分の利益になる政策が、じつはある一定数の有権者の利益を取り残すような政策であるかもしれない。もう1つ問題がある(こちらのほうが切実?)。逆に、私自身が取り残される可能性が大きいこともある。政党・候補者の選挙公約には優先順位があって、私の期待する政策は順位がかなり低く、いとも簡単に無視されるかもしれない。

 総花的な選挙公約は用心したほうがいい。「誰の1票も取り逃がさない」とばかりに「蜘蛛の巣」を張っているのかもしれません。「誰一人取り残されない」と「自分も取り残されない」を両立できる公約なのか。すぐに飛びついて投票しないほうがいいでしょう。

 選挙公約を評価する際に参考にしたい「6つの問いかけ」を見つけました。「1本のくもの糸」である選挙権を、すべての人がのぼっていっても切れることのない、誰一人取り残されない強い糸にするために参考にしたい「問いかけ」です。

 (1)経済が公正かどうか? (2)生活の質を上げるかどうか? (3)人材を無駄に使っていないか? (4)安全に配慮がなされているか? (5)地球の資源を浪費していないか? (6)働きがいのある雇用を生んでいるか? (カトリーン・マルサル「アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か? これからの経済と女性の話」、2021年、河出書房新社、236~237ページ)

 「丸刈りがいい(丸刈りでいい)」。でも、その先があります。それぞれの人が「自分がどんな暮らしや社会を望むのか」を「じっくり考えることが、選挙公約を評価するときの基本だと思います。私の場合は、「6つの問いかけ」にしっかり応えているか(それを意識して作られた)公約であるかどうか、を考えたいです。

 以上の6点には追加・補足・言い換えがあって当然で、私にもあります。

 まず(3)について「まだ使われていない大切な人材はないのか?」という追加の問い。そして、これを受けて「働きがいのある雇用をその人たちにも」を(6)の補足とします。誰もが自分自身のこととして、そのように問いかけるべきです。とりわけ、多くの女性たちはそうすべきです。それから、どんなに重い「重度障害」のある人も。「働く」「雇用」とは何か、常識にとらわれずに考え直せば可能性が広がるでしょう。

 そして、「(5)地球の資源を浪費していないか」には、「浪費」つながりで「予算という公共の資源を浪費していないか?」を追加。これは、以下のことを恐れるからです。政権党(国・地方)が企業からの政治献金の見返りとして公共事業を振り分ける。しかし、本当に必要な公共事業かどうか。無駄な公共事業は「6つの問いかけの」の多くに悪影響を及ぼします。予算の浪費はすべての人(利権を得る人たちを除く?)に悪影響を及ぼします。私たちの暮らす地域(地球の一部)の資源を浪費する公共事業も要注意です。「問いかけ」(2)にある「生活の質」を劣化させるでしょう。

 選挙公約は「誰の1票も取り逃さない」とばかりに張りめぐらされた「蜘蛛の巣」ではないか。そう思われたくない政党・候補者からは、「6つの問いかけ」に匹敵するようなメッセージを期待しています。

【追伸】

 強制不妊手術について定めた旧優生保護法について、最高裁判所が7月3日に違憲判決を出しました。筆者の「政治と憲法の風景」第27、28回はそれに関連するコラムです。最高裁判決を理解する一助となるのではないかと思います。

(随時更新)

川上文雄

 かわかみ・ふみお=奈良教育大学元教員、奈良市の神功(じんぐう)地区に1995年から在住

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