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地域の身近な問題を掘り下げて取材しています

発行者/奈良県大和郡山市・浅野善一

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コラム)メガソーラーと「公共の福祉」の危機/政治と憲法の風景・川上文雄…25

筆者のアートコレクションから西谷光世(にしたに・みつよ)「ささやく」。アトリエそれいゆ(奈良県香芝市)所属

筆者のアートコレクションから西谷光世(にしたに・みつよ)「ささやく」。アトリエそれいゆ(奈良県香芝市)所属

日本国憲法

第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

第29条 財産権は、これを侵してはならない。
(2)財産権の内容は、公共の福祉に適合するように、法律でこれを定める。
(3)私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用いることができる。

 ごく普通の生活環境を守ることが「公共の福祉」。この観点から、山林を破壊して建設中の平群メガソーラー問題を考えます。

 建設用地は会社のもの、会社が所有権を持つ。しかし「自分の土地だから、何をやっても自由だ」にはなりません。たしかに憲法12条を読むと「国民は(権利)を濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う」とあります。つまり、所有権についても濫用をいましめ、「公共の福祉」による制約・制限を課しているということです。

 深刻な水害(土石流災害)の危険がある。水害を誘発する施設をつくることは「公共の福祉に反しており、所有権の濫用である」と主張して、建設用地の周辺地域に暮らす人たちは建設とりやめを開発会社に要求することができる。その根拠になる「公共の福祉」について考えます。

地域として幸福追求

 地域のなかで、その地域が提供するいろいろな資源に依拠して幸福な生活を追求する。地域の生活環境が激変すれば、その幸福追求に支障が出ます。地域での生活そのものが公共。地域の生活環境を守ることが公共の福祉。政治・行政にはそのような公共の福祉を実現する責務がある。私たち主権者のために、それは当然です。

 平群メガソーラー用地の周辺地域に暮らす人たちは、それぞれに独立の個人として幸福な生活を追求する人です。では、この幸福追求を地域とは無関係のものと見ることはできるでしょうか。

 無関係ではありません。メガソーラー計画がなかった時期、森林がまだ破壊さていなかった時期であれば、生命を育み・守り、生活を支える森林の恵みを享受しながら暮らしてきた。きれいな大気。水の浄化―浄化された水は伏流水に(その他、森林が生活環境を支える機能については第23回コラム参照)。

 この基本は今も変わっていない。むしろ、危機に直面する今こそ、より明確になりました。メガソーラー建設に反対して、この地域が大水害の危険にさらされないようにする(地域全体の生活環境を維持する)ことには「地域の一員としての幸福追求」という次元がある。地域とは無関係に各人が自由きままに追求すると言ったのでは表現しきれない要素があります。

 以上に関連する憲法の条文を見ていきます。まず、13条。これは個人の幸福追求権を規定しています。しかし、条文の精神を実現するためには「地域そのものが幸福追求権をもつ」という考えが必要です(その場合、地域の広さはいろいろあっていい)。2022年の今、山林地区でのメガソーラー建設が引き起こしている問題に直面している状況のなかで、そのように条文を読み広げなければ、13条は瀕死の状態におちいるでしょう。

 つぎに12条。幸福追求の権利は個人に閉じたものではなく「つねに公共の福祉のために利用」すべきもの。地域の生活環境を維持することが、そこに暮らす人にとって「責任を果たすべき公共の福祉」。環境・破壊、災害誘発の施設の建設をやめろという要求は、もちろん地域エゴではない。所有権の濫用に対抗して、堂々と主張できる。

法律・条例を制定する

 以上の意味での「公共の福祉」は、地域住民だけでなく政治・行政にもこれを守り実現する責任がある。憲法13条に「幸福追求に対する国民の権利…は、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限の尊重を必要とする」とあります。

 メガソーラー反対こそ「公共の福祉」です。それでは、国レベル・地方レベルそれぞれで、政治は何をすべきか。山地メガソーラーのような施設の建設にかかわる法律・条例を制定することです。所有権(財産権)を強く制約し、公共の福祉に反する場合には建設を禁止できるような法律・条例です。

 憲法29条2項にも「財産権の内容は、公共の福祉に適合するように、法律でこれを定める」と書かれています。

財産権は再検討

 とはいえ、29条が具体的にそのことを明示しているわけではありません。2項につづく3項には「私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用いることができる」とあって、その趣旨は「公共施設をつくるために国は個人(私人)の財産を収用する。その代わりに、補償金を払う」ということです。

 個人の財産権が制約される場面として、たしかに「国(政府)対個人」の関係はある。しかし、これではメガソーラー問題にはつながらない。つなげるには、会社(私企業)と地域住民の関係においても「公共の福祉」を根拠に会社の財産権が制約されるという方向に読み広げる必要があります。

 近くの森林に貴重な文化歴史遺産あるいは天然記念物があるから開発に反対する、それを守ることが「公共の福祉」である、ということではありません。どこにでもある戸建て集合団地に暮らす人々の生活そのものが「公共の福祉」である、地域の幸福追求そのものが公共である。

 憲法の可能性を追求する。財産権の条文を幸福追求権の条文とともに読み広げる。そこに、日本全国各地で発生している山林メガソーラー問題が提起した課題があります。

【追記】

 「地域の幸福追求権」について。関連するコラムとして第14回「地域資源としての水」があります。

(おおむね月1回更新予定)

川上文雄

かわかみ・ふみお=客員コラムニスト、元奈良教育大学教員

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