奈良市の水道事業遺産に初の案内板 赤れんがの旧水道計量器室 市企業局が設置
修繕工事を終え、案内板を掲げる旧水道計量器室=2020年3月8日、奈良市川上町
土木学会選奨の土木遺産のプレートが掲げられ、文化財として新たな一歩を刻む
修繕前、荒れた印象の旧水道計量器室=2014年7月3日
奈良市が大正11(1922)年に建築した水道事業の先駆け的な遺産、同市川上町の旧水道計量器室に初めて案内板がお目見えした。市企業局は昨秋から赤れんがの建物と外壁を修繕し、これを機に設置した。案内板は、市街地への送水量を量る役割を担った計量器室の仕組みを図で解説、先人の営みを伝えている。
同市の市制施行は1888年にさかのぼる。都市の基盤づくりに欠かせない水道事業は当時から課題になり、京都府の木津川(淀川水系)の水を分けてもらうことで協議が整い、給水人口は5万人を想定した。計量器室は、市の上水道創設と同時期にできた建物だ。平屋建て、床面積は13.39平方メートル。
案内板には、1945年ごろの水道施設図を描き、事業が始まってから20年を経た時代を知ることができる。今の京都府木津川市内に位置する市坂のポンプ所や、東大寺大仏殿の東に設けた配水池などの要所を紹介している。
建物内でかつて稼動していた計量器はベンチュリーメーターとも呼ばれた。ぜんまい仕掛けだったといわれる。水道管から流れてくる水の速度は、管が太いと低速・高圧、管が細い高速・低圧を示し、その圧力差を計測することにより送水量を量る仕組みについて、写真と図で解説した。
計量器室が完成した翌年の9月、関東大震災が発生し、以後、れんがの組積の構造は地震国には向かないとして、敬遠されたといわれる。裏返せば、現代に生き残った古い赤れんが建物は建築史の証人、歴史の香りを放つ魅力ある建物として、再評価がなされている。
奈良市の旧計量器室は、2003年ごろ、建物を解体し、敷地の市有地を売却する計画が浮上したが、持ちこたえた。年々、傷みもひどくなり、入り口には有刺鉄線が張られていた。こうした中、土木学会(公益社団法人、東京都新宿区)が2017年、「奈良市水道関連施設群」として土木遺産に選奨し、保存を願う人々を励ました。
建物の近隣に赤れんがで有名な旧奈良監獄がある。一帯は近年、奈良きたまちと呼ばれ、生活景観を重んじた観光価値の掘り起こしが盛んに進められている。
旧計量器室の近くに住む主婦(77)は「昔からここで暮らしていますが、このところ、あの建物は何ですかと、観光客に尋ねられることが多くなりました」と話す。価値は発見され続けていた。