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発行者/奈良県大和郡山市・浅野善一

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ジャーナリスト浅野詠子

関西広域)プライバシーをテーマに40年 国勢調査の封入提出訴え機に発足 東大阪の「考える会」

「密封封筒をください!」と訴える40年前のびら

「密封封筒をください!」と訴える40年前のびら

故・合田悟さん(2008年、長男創さん撮影)

故・合田悟さん(2008年、長男創さん撮影)

 本年は5年に一度の国勢調査の年。その調査票に記載された個人情報の保護を徹底するよう、誰もが封入提出できることを訴えて40年前に発足した、大阪府東大阪市の市民団体が今も月に一度集まり、現代の官庁や企業などの個人情報流出ミスなどをテーマに会合を開いている。会合の数は400回を超えた。

 市民団体の前身は「国民総背番号制に反対し、プライバシーを守る東大阪市民の会」。1980年に発足し、源氏ケ丘教会牧師だった合田悟さん(1932~2008年)が代表を務めた。現在は「プライバシーを考える会」に名前を変えて活動を続けている。

 「密封封筒をください!」―。こう訴える手書きのびら(A4判、両面刷り)は、同会が1980年9月に作成し、配布した。

 当時は国勢調査の封入提出が徹底されず、記載された内容を調査員が外部に漏らす事態が起きていたことを取り上げた。アパートに住む単身者が、戸建て住宅の世帯とは違う特別な目で調査を受け、嫌な思いをしたという出来事にも触れている。

 国家の統計事業、国勢調査は、1920(大正9)年の第1回調査から数えてことしで100年。総務省統計局国勢調査課によると、個人情報の保護を目的とした封入提出を認めるようになったのは、1980年から。「希望する世帯に密閉できる封筒が渡された」と同課の職員は話す。

 この年はちょうどびらがまかれた年に当たる。「早くも不足とは。ひどい!」と、びらは批判する。当時、多くの市民が封入して提出したかったが、封筒の数が追いつかない事情を取り上げていた。

 全世帯が密封できる状態で提出可能になったのは2005年10月の国勢調査から。郵送が可能になった10年の国勢調査からであると、同統計課。前回の2015年調査からインターネットでの回収も受け付けている。本年は新型コロナウイルス感染対策を踏まえた方式になる。

合田さんの多文化共生思想が礎に

 国勢調査の100年は、市町村などのホームページでも紹介され、祝賀的な印象を与えている。100年といっても、敗戦までの25年間は、戦時体制が強化されて国民が組み込まれていき、個人の尊厳などは口にするだけで弾圧される時代に向かっていった。

 反戦や人権を訴え、志半ばにして世を去った人々らの氏名を刻んだ大阪市大阪城公園の大阪社会運動顕彰塔に、代表だった合田さんの名前もある。

 顕彰塔の事績録は、「在日外国人の人権の問題に尽くした」と合田さんの足跡を紹介している。異文化間の芸能交流などを通し、多文化共生の集いを開くことに情熱を傾けた。

 国勢調査の質問に対し、正直に回答した近隣の外国人数人がその後、入国管理局の摘発を受けたことを合田さんは遺憾とし、何度も口にしていたことが、没後に刊行された追悼集に出てくる。

 「プライバシーを守る東大阪市民の会」メンバーは、1985年から月に1度、定例会を続ける。当時から自治労東大阪市労働組合が協力している。1990年代の後半、「プライバシーを考える会」に名称変更した。世話人の元東大阪市職員、佐藤啓二さん(70)は「インターネットの普及により、いったんネットに流出したデータは、完全に消すことができなくなり、プライバシーを守るという名称を使うのは難しくなった」と話す。

 毎月の例会では、直近約1カ月に起きた官庁や企業、学校などが起こした個人情報流出などを扱った新聞記事を集め、話し合いの材料にしている。先月16日の定例会は、厚生労働省の雇用助成金オンライン申請情報漏れ、愛知県ウェブサイトの新型コロナウイルス感染者非公表情報誤掲載、大阪府高槻市の児童個人情報誤送付などを取り上げている。

 佐藤さんたちが長年にわたり集めている個人情報の取り扱いミスを報じた資料は膨大な量になった。合田さんが願った社会にまだ追いついていないことがうかがえる。

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