奈良・平城宮跡歴史公園、歴史体験学習館計画の住宅地 立ち退き受け入れつつも 高齢者多く転居に不安
歴史体験学習館計画で立ち退きの対象になっている住宅地に立つ自治会長の男性=2020年11月10日、奈良市二条大路南3丁目(画像の一部を加工しています)
奈良県が平城宮跡歴史公園の歴史体験学習館建設地として立ち退きを求めている奈良市二条大路南3丁目の住宅地には、40年以上続く地域社会が存在する。しかし、それは施設建設の大方針の陰に隠れて表に出てこない。住民は立ち退きを受け入れつつも、高齢者が多く、転居に不安を抱えながら、県が進める用地交渉に臨んでいる。
住民「県の方針だから」
平城宮跡歴史公園は、平城宮跡(特別史跡)を中心とした国営公園区域約122ヘクタールと、これに隣接する県営公園区域約10ヘクタールから成る。2009年に都市計画公園として都市計画決定されたが、区域内には鉄道や道路のほか一部、住宅もある。
現在、国営公園区域では第1次大極殿院の宮殿建物の復元工事が進む。一方、朱雀門正面の大宮通り(県道)に面した、県営公園区域の朱雀大路東側地区と同西側地区は歴史公園の玄関口と位置付けられ、西側地区では2018年3月に飲食店や土産物店、駐車場などの観光施設が開業している。同じ朱雀門前の国営公園区域でも国の展示施設が同時開館している。
住宅地は東側地区に含まれ、歴史体験学習館は同地区の西半分約0.9ヘクタール(9000平方メートル)に計画されている。2018年、着工に必要な国の事業認可を得た。宗教法人施設などがある東半分は、今回の事業認可区域には含まれていない。
立ち退きという負担を受け入れる住民は計画の一番の協力者。しかし、県や国営公園区域を管轄する国土交通省近畿地方整備局国営飛鳥歴史公園事務所がホームページで公開している関連資料に、歴史体験学習館計画地の立ち退きに言及したものは見当たらない。計画図面と住宅地図を照合でもしないと、そこに人々の暮らしがあることは想像できない。
二条大路南3丁目自治会の会長を務める住民男性(70)に取材を申し入れ、話を聞いた。
男性は「県の考えた観光浮揚策にことさら反対することもない。いい施設にして、この周辺が発展していったら」とする一方、「いられるものなら、このままいたいが、この年になって意見するのは難しい。県の大局的な方針だから仕方がない。粛々と受け止める」とも語った。言葉からは複雑な思いがにじむ。
活動重ね地域築く
地蔵盆には住民が集う住宅地の小さな地蔵堂。後ろの建物は2018年に開館した国の展示施設「平城宮いざない館」=同
自治会の範囲と朱雀大路東側地区は重なる。住宅は歴史体験学習館の計画地に集中しており、戸建て住宅や集合住宅、棟割長屋のほか店舗や事業所がある。男性がことしの国勢調査で調査員として調査票を配布した先は40世帯あったが、うち自治会に加入しているのは法人を含め20世帯。加入世帯のほとんどが立ち退きの対象だ。
男性によると、住宅が建ち始めたのは44、45年ほど前。男性は30歳のときに戸建て住宅を購入した。住宅地の外れに小さな地蔵堂があり、毎年7月に自治会主催の地蔵盆が営まれる。お堂の前に机を並べ、住民が集う。食事や酒を囲み、スイカ割りなどをして親睦を図ってきた。かつては子供もたくさんいてにぎやかだった。
年に1度、5月に開く自治会の総会は、近くの飲食店で膳を囲んで行うのが恒例。他の住宅地と同様に、そうした活動を重ねて地域社会を築いてきた。住民の高齢化が進んで子供の数が減り、空き家や空き地もポツリポツリあるが、それはこの住宅地に限ったことではない。
新聞報道に驚き
住民が立ち退きを知ったのは2018年2月、新聞報道によってであった。県の事業認可取得の記者発表を受けたもので、2025年度の完成を目指して歴史体験学習館を計画、用地買収に着手するというものだった。男性は「びっくりした」。住宅地の皆が騒ぎ出した。
男性はそれまで、立ち退きを意識したことはなかった。2009年の平城宮跡歴史公園の都市計画決定のときは「具体的な話はなかったので、もっと先でいつか分からない」と受け止めていた。朱雀大路西側地区で2014年、積水化学工業関連の工場の移転が本格化しても、「まさかこちらにまで及ぶとは思っていなかった」。
住民が立ち退きを急なことと受け止めたのは仕方のないことだった。県は2008年10月、都市計画決定に向け、関係地域の住民らを対象に、市立都跡小学校など4カ所で説明会を開いた。そのときの質疑応答の内容が県のホームページで公開されている。
住民が今後のスケジュールや立ち退きのことを尋ねても、返ってくる答えは「具体的な整備の時期や方法、用地買収の時期はこれから詰める」「事業に着手することになれば説明の機会を設け、用地買収の手続きに入らせていただく」というものだった。住民は見通しの持ちようがなかった。
説明会で配布された平城宮跡歴史公園の計画図面には、二条大路南3丁目に当たる部分に歴史体験学習館が記されていた。ただ、質疑応答の中に参加住民からの質問は見当たらない。住民が歴史体験学習館計画を遠からず直面する問題として捉えるような情報提供は、この説明会においても、また事業認可取得の記者発表に至るまでの期間においても、なかったとみられる。
そして、2008年10月の説明会での「事業に着手することになれば」の言葉通り、県が歴史体験学習館計画地の二条大路南3丁目の住民を対象に説明会を開いたのは、新聞報道後の2018年3月だった。
丁寧な対応求める
自治会は県の説明会を受けて、同年11月、都跡地区自治連合会を通じて荒井正吾知事あてに要望書を提出した。強調したのは高齢者住民への配慮だった。
要望書の前文には「当自治会員には高齢者が多く、用地買収に伴う移転は精神的にも肉体的にも非常に大きな負担で、移転が体調を崩したり、命を縮めたりする要因にならないよう丁寧な対応を」とある。併せて提出した自治連合会名の要望書も「住民の方々は高齢者のため都跡から離れたくないなど立ち退きに不安がある」として、十分な支援を求めた。
要望書では近隣への集団移転も求めたが、県の返事は応じられないというものだった。自治会が行った住民へのアンケートでも集団移転を求める声がなかったため、強力に推し進めることはなかった。
住宅地を歩いて、立ち退きの対象になっている人たちの声を拾った。ある男性からは「決まったこと。県の方針に従って動くだけ。意見はない。他の人に聞いて」と取材を拒まれた。ある女性は言葉は少なかったが、「県の計画は別に構わない。変わっていかないといけない」と語った。
また、別の女性は、自身は県の用地交渉に応じるつもりでいるとしながら、高齢者のことを案じた。取材に対し、「答えがどのように記事に反映されるか分からないのでお答えは難しい」と神経をとがらせる人もいた。住民の声を一言でくくることはできない。
自治会長の男性は転居先として近辺を考えている。通っている病院があるためだ。自治会には独り暮らしの高齢者が自身を含め4人いる。転居で、新しいコミュニティーに入っていけるかどうか気掛かりだ。男性は「転居先の住民はどんな人たちだろうか。溶け込めるだろうか。独り暮らしだから心細い」と案じる。
県の計画では、歴史体験学習館は3棟で構成され、正面の正倉院を模した校倉(あぜくら)式風の意匠の建物は、正倉院宝物の複製を見たり触れたりできる施設が検討されている。事業費は建設費や用地買収費など合わせて約50億円を見込んでいる。 関連記事へ