奈良市水道100年の旧施設、近代化遺産調査で高い評価 2014年県教委実施
旧高地区配水池のコンクリート造りの点検用通路出入り口=2022年1月、奈良市雑司町
奈良市企業局は2020年から、市の水道遺産を顕彰する案内板設置に取り組んでいるが、県教育委員会が2014年に実施した近代化遺産の悉皆(しっかい)調査報告書で高い評価を受けていた。旧水道施設の高地区配水池(雑司町)と計量器室(川上町)は、今月30日に給水の開始からちょうど100年を迎える市の水道創業期の建物だ。
「奈良県の近代化遺産―奈良県近代化遺産総合調査報告書」(2014年3月)で奈良市水道関連施設群の調査を担当したのは近畿大学理工学部教授の岡田昌彰さん(土木史、景観工学)。旧高地区配水池について「点検用通路出入口の意匠を含め施設の一部が原形を止(とど)めながら明確に現存しており、本施設群の中では極めて貴重な近代水道遺産」と位置付けた。
旧高地区配水池は、京都府の木津川から取水した水をいったん地下の貯水槽(約1000トン)に集め、配水する高台の施設。1918年に着工、同年中にほぼ完成した。点検用通路出入り口はデザインとして円柱をあしらい、岡田さんは「ファサード(建物正面)に古典主義の意匠」とした。
れんが造りの旧計量器室=2021年12月、同市川上町
また、計量器室はれんが造りの建物で、浄水の流量を計測した施設。かつて稼働していた計量器2器は米国のシンプレックス社製、地階部分にはポンプ1基が設置されていることも岡田さんの調査で分かった。
設計者情報に東京浅草・国際劇場の建築家 市営住宅にも携わる
報告書の中で岡田さんは、建築史家の故・伊藤鄭爾が1955年に著した「奈良市民家調査研究報告」の中に水道付属建築物の設計者が成松勇であるとする情報が記されていることも紹介。成松は1937年、東京浅草の国際劇場(現存せず)の設計に携わった建築家という。
「奈良の声」が県教委を通じて入手した「奈良市民家調査研究報告」(一部の複写)によると、成松は北海道炭礦汽船株式会社から招かれた人物で、水道創業から3年後の1925年には市営住宅の設計にも携わっていた。「奈良の歴史的な平面形式に最初の革命の灯をつけたものとして特筆されなければならない」と伊藤は絶賛している。
同報告のほか、「奈良市水道五十年史」にも、着工当時の水道敷設部の技手として成松の名がある。
市企業局企業総務課は「(設計者に関する)資料がほとんど存在しておらず、設計者の特定までは至っていない。設計者の判明についてのコメントは控えたい」としている。
一方、市住宅課によると、市が市営住宅の貸し付けを開始したのは1925年8月1日。雑司町、漢国町、紀寺町、十輪院町、高畑町に計71戸を建設したという。建物は現存せず、市に成松が設計したことが分かる資料は残っていない。
これら5町のうち最後まで残っていたのは高畑町656番地の市営住宅で、1992年6月に廃止された。同課は取材に対し「残念ながらこの高畑の市営住宅に関しても設計者までは確認が取れなかった」と話している。