関西広域)まちおこしの人々集う大衆食堂、商店街で62年間 大阪東成の「三福」が閉店

閉店する「三福」の店内で笑顔を見せる奥田さん夫婦=2026年1月30日、大阪市東成区大今里3丁目、浅野詠子撮影
大阪市東成区大今里3丁目の商店街で62年間営業した大衆食堂「三福」(みふく)が1月31日、閉店した。昭和の雰囲気を色濃く残す和風の店内では廉価で美味な定食が提供された。店主はまちおこし行事にも協力した。感謝の気持ちを込め、花束持参でやって来る常連客もいて、惜しむ声が相次ぐ。
奥田薫さん(86)が1964年に創業。妻の美佐代さん(84)と店を切り盛りしてきた。奥田さんは20歳のころ、大阪市生野区鶴橋の寿司店での2年間のでっち奉公を経て、食堂を開いた。父親が飲食業で2度、挫折したことから「三度目の挑戦は必ず福を」と、「三福」と命名したという。日本料理の潮汁や一番出しなどの調理の基礎はでっち時代に習得した。
当初はガラスケースに総菜を入れ、サバのみそ煮やアカウオの煮付けなどを陳列し、客に自由に取ってもらう「ご飯屋」のスタイルで営業した。開業後の半年間は1日も休まなかったが、商売はなかなか厳しかった。開業資金として国民金融公庫から400万円、信用金庫から200万円を借りたほか、奥田さんの人柄を見込んで保証人になってくれた知人が100万円を貸してくれた。後に引けなかった。
転機は、いろいろな定食を出す路線に切り替えたとき。カレーうどんをはじめ麺類はだしにこだわった。しょうゆは小豆島や和歌山県湯浅町などの名産地から取り寄せ研究した。店内に掲示したメニューには、群馬県産豚のとんかつ定食、名古屋コーチン使用の地鶏唐揚げ定食など、それぞれ産地を書き入れ、客をうならせた。
経営が軌道に乗ってきたのは1970年代後半ごろから。まちは「商店街全盛時代に入っていた」という。1976年には、「大阪市優良店舗コンクール」の最終審査に残り、東成区長から表彰を受けた。
店は、平城京と大阪の難波を最短距離で結んだ古道、暗越奈良街道の近くに位置し、まちおこしを実践するグループの人々がよく立ち寄った。この地で振興行事に参画する元地方公務員、松下和史さんによると「街道焼き」と銘打った、たい焼きやイカ焼きを道行く人に振る舞う催事をしたときは、奥田さんが食材の調達や調理方法について助言したという。
まちおこしに取り組む人たちが同店かいわいの商店街「東成しんみちロード」を近鉄布施駅前まで連結し、日本一長い商店街づくりを目指したこともある。「目標の総延長3.2キロにあやかり、3.2メートルの巻寿司を奥田さんにこしらえてもらった。すだれを解体し、特性の巻きすを作り、奮闘された。三福を取り巻く世界は、高度成長時代に多くの日本人が失ったものだと思う」と松下さん。
店内には4人掛けのテーブルが八つ。天井の近くには黒い招き猫の置物、縁起物の福笹が掛けてある。閉店前日となった1月30日。名残惜しそうに奥田さん夫婦と立ち話をする常連客が後を絶たなかった。「長いこと来てもらっておおきに」と美佐代さんが気さくに応じた。
奥田さんは「今さらですが商売向きではなく、本当は文筆の道に進みたかった。長兄が仕事のため早くから家を出たので、次男の私がこの仕事をすることになった。閉店を前に、店のことをこれほど思ってくれた人たちがいたのかと思うと、うれしくて哀しい。何とも言えない気持ちです」と話した。
筆者情報
- ジャーナリスト浅野詠子
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