住民投票から20年、単独村のこれから語り合う 奈良県山添村の村議、合併賛否かつての立場違い超え
合併の賛否を問う住民投票当時は立場が違った村議がこれからの村づくりを熱心に語り合ったシンポジウム=2023年11月23日、奈良県山添村の村役場
平成の大合併で単独村を選択した奈良県山添村のこれからの村づくりを語り合うシンポジウムが11月23日、村役場集会室で開かれた。県都・奈良市への編入合併の賛否を問う住民投票から20年の節目を迎えたのを機に、村議有志5人が企画。村民ら55人が参加した。
奈良市との合併についての意思を問う住民投票は村長提案により2003年8月に行われ、反対1963票、賛成1543票と賛否が拮抗した。翌年、村長が辞職、選挙には村議2人が立候補。合併の是非が再び争点となり、合併反対の窪田剛久氏が1903票を獲得して当選、合併賛成の候補も1606票と迫った。
有志の5人は住民投票当時の合併を巡る賛否の立場の違いを超え、共に手を携え、この日の行事を準備した。
シンポジウムでは4人がパネリストを務めた。合併反対派だった奥谷和夫議員は現在の村の財政状況に触れ「経常収支比率は79%と県内3位の健全度。実質公債費比率の低くさでも5位。村の自立を選択した住民投票当時、54億円の借金があったが今は22億円」とし、貯金に当たる基金も増え、20歳までの医療費無料を実現していると述べた。
20年前、単独村として新たに踏み出した際、議員定数を減らし、村長や村議の報酬もカットし、小学校の統合も行わざるを得なかった。村は観光資源の開発に力を入れ、最近では農業を希望する村外の人々から空き家の問い合わせもあるという。
奥谷議員は「市町村合併が進まなかった奈良県では前知事の下で広域化の奈良モデルが推進されてきたが、村にはスケールメリットが少なく負担が増えていった。後期高齢者医療制度、消防、ごみ、国保などの広域化は市町村の自治権が奪われていく。私たち一般の議員は(これらの行政に)参加できない」と語った。
合併を支持した三宅正行議員は「4年前、メガソーラー開発が浮上したとき、村は荷が重かったのか事前協議を県に振ってしまったが、今後の村づくりのために、しっかりと行政処理能力をつけてほしい。村は火の粉がかかっってくるのを恐れたのか、決まった条例を執行しなかったり歪曲したりした。村が自立していく上で課題」と注文を付けた。
また、若者が村外に流出する傾向について三宅議員は「観光客が増えているのはありがたく、これも村づくり。しかし若い人々はなぜ村を出ていくのか、地域の習慣や因習にメスを入れていくことが大事」と投げ掛けた。
一昨年の2021年は、村の歴史が始まって以来初の女性村議が一挙に2人も誕生し、そのうちの一人、藤田和子議員は「高齢の男性ばかりが力を持つような自治体はどうなってしまうのか、との思いがある。初めて選挙に立候補したが、ポスター張りなどは誰が手伝ってくれるのだろうと、そんなことまで心配した。いろいろな年代、さまざまな人々が意思決定の場にいることが大事」と話した。
医師でもある野村信介議員は「村の自治は村長さんにお願いするものではない。欧州の影響や戦争の後に私たちがやっと手に入れたもの。山添村は県の端、辺境にあるから強い。もっと奈良市に近かったら住民は合併を選択していたかもしれない。大和高原の村として気概を持とう」と呼び掛けた。
シンポジウムに先立ち、岡田知弘・京都大学名誉教授(地域経済学)が「小さいからこそ輝く自治体」と題して講演。平成の大合併を振り返り、地方分権一括法の土台づくりに尽力したとされる第27次地方制度調査会副会長・西尾勝氏が2002年「小規模自治体は無能力、不効率なので、将来的に県や隣接都市自治体が補完すべき」と私案について発言し、波紋が広がったと説明。
その上で、政府は公共工事の特例債などで合併を誘導したが「特例期間が過ぎてみると、財政危機が顕在化している」と指摘。市町村数は3232から1718になったが、林野庁の開発を止めて照葉樹林文化を掲げる宮崎県綾町や高福祉・低負担を実現した長野県栄町など小規模自治体の数々の取り組みを紹介し「地震災害やコロナ渦でも小さな自治体の優位性が見られた」と解説した。