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発行者/奈良県大和郡山市・浅野善一

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コラム)納税は権利である/政治と憲法の風景・川上文雄…8

筆者のアートコレクションから大槻修平(おおつき・しゅうへい、1981年生まれ)「ぼくの好きな手をつなぐなかま」。手の部分は画用紙を貼り付けている

筆者のアートコレクションから大槻修平(おおつき・しゅうへい、1981年生まれ)「ぼくの好きな手をつなぐなかま」。手の部分は画用紙を貼り付けている

 税金を集めて、それを使う。政治の最大の責務です。納税の意欲をそぐ出来事が頻発する現状は、政治の危機にほかなりません。アベノマスクの配布。感染予防の効果が疑われたマスク、使用した人は極端にすくなかった。使った税金は500億円超とか。コロナ対策の「持続化給付金」事業では、約770億円が広告大手の電通に利益が還流する仕組みが発覚、問題になりました。「納税の意欲」と言っても、そもそも納税はなぜ必要なのか。私たちが押さえておくべき基本です。納税は主権者である国民による主権の行使。義務であると同時に権利。筆者はそのように考えます。

憲法「前文」に理解のカギ

 憲法30条に「国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負う」とあります。これを根拠に集められた税金。「もらってしまえばこちらのもの」とばかりに、政府が勝手に使ってはいけない。政府は預かっているだけです。30条だけでは、国民主権の新憲法における税金の基本思想はとらえきれません。

 憲法「前文」に理解のカギがあります。「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって…」の「国政」を「税金」に読み替えてみる。主権者としての国民が公共の福祉のために信託し、政府は受託者として受け取る。税金は国民からの信託物です。

 国民は受益者でもあります。税金(予算)に裏づけされた教育・福祉・文化その他の政策を通じての受益です。この場合、政府からもらったものと考えたり、ことさら政府に感謝したりする必要もありません。なぜなら信託者=主権者としての国民に由来するものだからです。

 難病、重度障害のように医療費の補助が通常のレベルを超えて高額になっても基本的におなじ。「税を負担している国民に感謝しろ」と言う有名人がいました。これはその受益者とそれ以外の受益者を分断する―受益者としての国民の対立をあおる―発言ではないでしょうか。信託者=主権者としての国民の立場で考えて、「どのように税金を集め、どのようにそれを使うか」という政策の問題として受け止めることもできたと思います。

社会参加通じた幸福追求を託す

 税金の根本に関わる問題はもう1つ。主権者としての国民は何を納税に託したのか。

 納税に託したものは、社会参加を通じた幸福追求です。納税には社会参加の要素がある。生活保護を抜け出した人たちのことが参考になります。職を得て(労働して)収入を得るようになり、社会保険の掛け金を支払い、所得税を払えるようになる。それについて、喜ばしい気持ちを抱く人たちがいるということです。社会の一員として納税の義務を果たす、社会に貢献する。社会参加の喜び・幸福感です。

 そのような思いは、気づこうとすればだれもが持つことのできる実感ではないでしょうか。納税だけを見るのでなく、「労働→収入→納税」という流れ全体でとらえれば、「社会参加を通じた幸福追求」はもっとわかりやすいでしょう。

 労働は社会参加である。社会にあるさまざまな仕事のなかから自分が良いと思う仕事を選ぶ(「職業選択の自由」)。そして、社会の一員として働くことから生きがい(幸福)を得る。そのように、憲法27条「勤労の権利」は「幸福追求権」という観点で理解できる。

 社会参加を通じた幸福追求はそれだけではありません。人々の「労働→納税」の行為によって社会(地域資源)が維持される。それは、さまざまな幸福追求の機会(食、季節の行事、文化・芸術の催し、旅、行事など豊かな地域資源)が維持されるということです。

 要するに、人々が働いて有形・無形の「もの・サービス・できごと」を供給することが不可欠です。金銭的な支えも必要。だから、労働と納税はともに義務です。2つの義務で人々が支え合う社会。そのようにして幸福追求の機会を豊かにする。納税と労働をつなげると、納税が幸福追求権の実現にとって不可欠の要素ということがわかります。

納税は主権の行使

 「すべて国民は、納税の権利を有し、義務を負う」と憲法30条に書いてもよかった。その方が税金の集め方・使い方について主権者としてしっかり向きあえそうです。納税の義務だけだと、「取られる」という負担感しか伝わってきません。医療費の高額補助を受ける人たちへの悪口は、「取られた税金から過剰に取り返している」という思いがあってのことでしょうか。そんな反応をするよりも、アベノマスク・電通などの事例に重大な関心をむけてほしい。こちらは主権者の信託に対する重大な背信行為です。

 国政(立法、行政、司法)の存在理由の1つは、社会参加を通じた幸福追求をよりよく実現すること、そのための制度づくり・政策形成です。税金はその資金源として国民が国政に信託したもの。つまり、納税は主権の行使として、権利の1つ。その他の権利を軽んじるのではありませんが、納税の権利は特別なもの。その重要性は、国会議員の選挙(ひいては内閣総理大臣を選ぶこと)と肩を並べるほどのものです。そこに大日本帝国憲法との違いがあります。旧憲法では国民は主権者ではなく天皇の臣民。納税は「日本臣民の義務」でしかなかった(21条)。労働は権利でも義務でもなかった。(おおむね月1回更新予定)

川上文雄

かわかみ・ふみお=客員コラムニスト、元奈良教育大学教員

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