記者講演録)戦後最大級の変更、奈良県水道一体化構想~これからの水源を考える
県域水道一体化の主水源、大滝ダム。建設により約500世帯が立ち退いた=2023年5月20日、奈良県川上村
【本稿は、奈良県域水道一体化構想の課題や疑問点について「奈良の声」で伝えてきた浅野詠子が2023年7月27日、奈良市三条本町の市ボランティアインフォメーションセンターで開催の政策研究ネットワークなら・未来例会で、「県域水道一体化の現状と将来展望」の演題で講演した際の内容を修正し再構成したものです】
石綿水道管ゼロへの見通しは
皆さん、こんにちは。荒井正吾前知事の強力なリーダーシップの下で県内26市町村の水道と県営水道を一気に垂直統合する計画が進み、2025年4月1日、受け皿の企業団(一部事務組合)が統一料金で事業開始すると公表されています。ところが先日、新しく知事に就任した山下真氏が前県政の一体化試算に対し「料金の設定が安すぎる」などの疑問を述べ、初年度からの料金統一にはこだわらず、開始時期についても多少の遅れがあってもいいとしました。今後の展開が注目されています。
試算を厳しくやり直すとしたら、現在、市議会で賛否が拮抗する大和郡山市の動向にも影響を及ぼすでしょう。同市の水道経営は抜群に優秀です。一体化に参加した場合の経営面の試算が、単独経営を想定した試算と比べて僅差、あるいは同点、または単独経営継続の方が競り勝つ、となれば、一体化で失われる経営権、中心市街地にある市営北郡山浄水場(水源・地下水)廃止などのマイナス面を勘案すると、参加・不参加論議の行方は予断を許しません。
新しい県政が試算をやり直す際に、留意してほしいことがあります。企業団の参加エリアに何十キロも残っている石綿の水道管をゼロにする見通しを早期に立て、交換に要する費用を料金試算に反映することを求めたいと思います。石綿管は耐震性が特に劣る。しかし背後に人々の暮らしがあって、長時間の断水をして交換工事を強行するわけにもいかず、大がかりでデリケートな多額の費用を要する工事になります。県の一体化構想は、強靱(きょうじん)な水道、安心・安全な水道というスローガンを掲げており、最優先に行うべき工事でしょう。
それからもう一つ。前県政の試算は、30年先の水道料金のシミュレーションには熱心でしたが、主水源の大滝ダム(紀の川上流吉野川、国土交通省)が30年先、堆砂量がどのように増えていくかの想定はしていないと思います。全国の多くのダムを見れば、堆砂量増大の課題が伝えられており、それほど難しくない想定でしょう。
12年前の紀伊半島大水害のとき、大滝ダムは地滑り対策に追われ、完成が遅れていましたが、ダム本体は完成していましたから、おびただしい量の土砂をダム胡の腹にため込んでいると思われます。治水に影響すると会計検査院からも指摘されています。ダムを管理していくには堆砂の対策を抜きには考えられないし、堆砂の除去費用やダムの修繕・維持管理費の1割は国交省から企業団に請求が来ます。一体化のやり直しの試算をする際に勘案してほしいですね。
「参加と公開」に課題
荒井知事の時代に行われた一体化の料金試算。情報公開請求に対し重要な項目を伏せている
前知事のトップダウンによって、経営の苦しい小規模水道が救済される道は開けたと思うのですが、この間、現代の地方政治が向き合わなければならない住民参加、十分な情報提供、そして厳正な情報公開制度の運用については課題を残しています。
命の水の事業主体を巡って戦後最大級の変更になる一体化ですね。それなのに市町村の中で第三者委員会を開いたのは奈良市だけです(県域水道一体化取組事業懇談会、座長浦上拓也・近畿大学教授、11人)。仲川げん市長は、結論を決めていない段階で開催したことが良かったと思いました。学識経験者をはじめ、市議会すべての会派から委員が選ばれ、多くの市民が傍聴にやって来ました。昨年10月、市長が不参加を表明するまで、どうなるのか市企業局の管理職も予想できなかったと聞きました。
住民向けの説明会を開いたのは生駒市、葛城市、大和郡山市の3市。ただし生駒と大和郡山は、市長が一体化への参加を表明した後の説明会でした。
来年は、一体化の受け皿となる企業団議会に関する重要議案の議会採決が予定されており、参加表明した26市町村すべてが第三者委員会を開いた方が良いと思います。もし開くゆとりのない町村があるとしたら、それこそ県庁が支援してほしいです。
情報提供に関しても申し上げたい。一体化の効果額は800億円に上ると荒井前知事肝いりの広報紙「奈良モデルジャーナル」が打ち上げたことがありました。その後、いつのまにか600億円台に下方修正されていたのですが、県民には何の説明もありません。
効果額とは、水道の広域化によって幾つもの浄水場を廃止して施設を更新せずに浮く金に加え、これから入ってくる予定の国庫補助金などを合算したものです。県が下方修正した理由は、試算した段階において、すでに自主的に浄水場を廃止していた幾つかの団体がありますが、これら市町村エリアが一体化に参加してから浄水場を廃止するものとして誤って加算したからです。間違いは誰でもありますが、間違っていたことを知らせないことが間違っていると思います。
新知事が批判した前県政の水道料金試算に関連して昨年、県に開示請求をしましたが、市町村が単独経営を継続した場合と、一体化した場合の財政の見通しとを比較した公文書の大部分が不開示となりました。この文書は、一体化に参加すれば、単独経営を続けるより水道料金の抑制効果があると、前県政が主張した根幹を成すはずのものであります。
こういう体質は水道一体化の企業団が受け継ぐのでしょうか。参加する町村のうち、小学生でも外国人でも誰に対しても役所の公文書を請求できる権利を条例に盛り込んでいるのは高取町だけでしょう。市部でも宇陀市や五條市は今も請求権者を限定した閉鎖的な情報公開条例のままですね。一体化の企業団は事業開始後、どういう情報の出し方をするのか分かりませんが、その出し方によっては、市町村役場に対し、改めて開示請求しなければならない場面も予想できます。公開制度が遅れている団体はまともな条例を作り直してから一体化に参加してほしいと思います。
市町村主義の水道を探る
荒井前知事肝いりの一体化の動きを取材中、中二階という言葉が何度か脳裏をよぎりました。戦後の新しい憲法下において機関委任事務という問題ある制度が残り、地方行政に対し国は出先の機関のように仕事を命じることができました。2000年施行の分権一括法で廃止されるのですが、都道府県は機関委任事務の取扱量が多かったため、いつも国と市町村のはざまにあって、建物に例えると「中二階」のような中途半端な存在だと、皮肉を込めてそう指摘されたのでした。
市役所の職員は、市民を意識して早くから首に名札を提げていますが、県庁は後ではないでしょうか。県庁の駐車場は利用が2時間を超えると有料で、「県議会をじっくり傍聴すれば2時間を軽く超えてしまう」と意見を言った人がいて、申し出れば無料になることが表示されたようですが、前知事の側近は「県庁なんか業者しか来ない!」って。そんな認識なんですよね。
国と地方は対等な協力関係であると同時に、都道府県と市町村も対等な協力関係であると閣議決定して、分権一括法は施行されました。以来、現代においては法律に根拠がなければ、府県は市町村に対し仕事を命じることはできません。しかし県庁の職員は、自分たちは市町村の上級官庁であると自負しているでしょうし、市町村職員の側にも県のことをあがめる風潮がいまだに残っていると思います。
昨年の一体化の協議において、参加・不参加を慎重に検討していた葛城市の阿古和彦市長は「いったんは参加を見送った後に、途中から一体化の企業団に参加することは可能か」と尋ねました。荒井知事は「ノーです」と言下に否定しました。
市町村長の側からの重要な提案であり、参加団体みんなで協議すべき事項です。しかし他の首長はこれについて何も意見を述べませんでした。また、一体化への参加・不参加の判断にやはり慎重だった奈良市長に対しては、荒井知事の意をくんだ市町村長らがこぞって記者会見して、参加を促すという場面もありました。同調圧力ではなかったのかと思います。
「中二階」の反対は何でしょう。私なりに考えてみますと、市町村主義でしょうか。住民に身近な行政が権限の移譲を受け、地域の問題解決力や協働に磨きをかけ、地域資源を生かしていくことなどが浮かびます。
今から30年前。非自民の細川連立内閣というのができまして立役者は小沢一郎。小選挙区比例代表制の創設に力を入れた政治家ですね。その前後だったか、小沢さんが小選挙区300の全部を政令市にし、都道府県を廃止する大胆な改革を描いたことがあります。道州制ではなく、国民の全員が政令市の市民という構想だったと記憶します。
奈良県の水道事業を3つの小選挙区に分けて考えてみると、1区の中心は何と言っても奈良市の緑ケ丘浄水場。2区の担い手は大和郡山市の地下水浄水場。3区は、県から大滝ダムの御所浄水場の移譲を受ける…と、ざっとこんなふうな図が浮かんできます。
全国を見れば、草の根で市町村が発案して実現した水道の広域化がありますよ。岩手中部水道企業団もそうですね。奈良県が今までトップダウンでやってきた水道統合計画だけが広域化、広域連携ではないことを知ってほしいと思います。
荒井前知事が主導した水道の広域化の形が実現すると、国家から表彰されるんじゃないでしょうか。2019年施行の改正・水道法が誘導する広域化の国庫補助金ですが、これは10年で切れます(2034年度までの時限措置)。しかし、累積赤字に悩む市町村に交付されてきた高料金対策の地方交付税、これは未来永劫に続くはずだったのが、広域化に参加した団体に対しては交付を打ち切ることができるというわけです。
一体化の巨大水源、大滝ダムの課題
県庁が一体化の構想を打ち上げて以来、5年近く、私は取材を続けています。この間、断続的ではありますが、関心は続き、ウェブニュース「奈良の声」に何十本かの記事を出稿しました。
主水源の大滝ダムから目が離せません。酷な言い方ですが、このダムは水道水源の将来的な模範にならない、という仮説を立てています。県庁が礼賛してきた巨大ダムです。仮説が崩れた方が、仕切り直しの取材をすることになるので、ルポルタージュとしては厚みが出てくると、高名な識者が言っていましたけれど。なかなか崩れません。
私たちは国際社会の一員です。最近、国連のSDGsという用語をよく耳にしますよね。役所も企業も好んで使っていると思います。SDGsの目標の中に「住み続けられるまち」という理念があります。500世帯もの村民を立ち退かせた大滝ダム建設は、真逆の出来事だったのではないのでしょうか。
県庁は水道水源について、どんな理念を持っていますか。仮に大滝ダムが堆砂でいっぱいになり、使いづらくなったら、また別のどこかの山村の集落と清流を水没させてダムを造ればよいと考えているのでしょうか。
伊勢湾台風をきっかけに当時の建設省が着手し、50年の歳月と3640億円の経費をかけて造られたのが大滝ダムです。試験貯水中に地滑り事故を起こし、川上村白屋という集落の人たちが離散して今年で20年になります。
地滑り発生の30年前、イタイイタイ病などを研究した吉岡金市という学者(元金沢経済大学学長)が白屋地区の依頼を受けて地滑り調査をするのですが、家々が同じ方向に傾いていることを突き止めます。敷居やかもいなどの家屋の部材はだいぶ前からゆがみが出でいて、修理しても、また10年かそこらで修理を繰り返していた、という聞き取りもされています。昔から地滑り地であると語り伝えられてきましたが、8000万トンもの水をためたら、この地区はもたないと吉岡さんは警告しました。
しかし国は浅い地滑りを想定した対策工事しかしなかった。70年代に地質調査をしたとき、深度70メートルの地点に滑りやすい粘土を確認しているのに、せいぜい深度20~30メートル地点での対策工しかしませんでした。それでダムが2003年、水をため始め、貯水位が河床から高さ30メートルほどに達したとき、白屋地区の地面に亀裂が走り、家々の壁が割れました。
旧住民らが国を相手取って裁判を起こし、大阪高裁は2011年「国は安全対策を怠った」と認定し、国土交通省の逆転敗訴が確定しました。村は日本有数の人工美林地帯であり、優れた住宅用材であるスギ、ヒノキを産出しています。
やり直しの地滑り対策工事が行われ、ダムの完成は10年遅れました。国は白屋地区の地滑りに懲りたのでしょうか、対策工事のエリアを拡大し、迫地区、大滝地区にも及ばせました。その後もダム付け替え国道の高原トンネル坑内に亀裂が走り、現在もトンネル周辺で大がかりな地滑り対策工事が続いています。伊勢湾台風から60余年。こんなに長い間、工事をして村民に迷惑をかけてきました。地質を甘く見ていなかったのか、予備調査をしっかりしてから着工したのか、疑問に思います。
でも、その水を一滴も使わないとしたらもったいない。郷里を立ち退いた人々に何と伝えたらよいのか、申し開きができません。村役場は長年の確執を乗り越えようと「水源の村」を標榜しています。水系の異なる奈良盆地の住民としては、警戒しながら、補給水として少しは使うという距離感が大事ではないでしょうか。複雑な生い立ちを持つこの巨大な構造物に対し、全面的に寄りかかりたくないという気持ちです。
そういう意味で大和郡山市水道の大滝ダム(県営御所浄水場)50%、地下水50%という比率は、妥協できる数字です。地下水の比率をもっと増やすことが可能であると、市議が市上下水道部から答弁を引き出しています。地下水の比率がもっと増えれば、県営水道の受水費は高いので、水道料金の安定に寄与するでしょう。
不参加2市の水道とは
県が一体化の構想を打ち上げたのは2017年10月のことでした。このころは、料金の統一はずっと先で、緩やかな経営統合を打ち出していました。しかし3年後の2020年の夏、県は当初の計画案を覆し、統合初年から統一料金でいきたいと関係市町村に通告します。大きな変更ですが、荒井知事は自信があったのでしょう。完全試合を予定していたと思います。
その翌月のこと。若手の県議(維新)が「給水規模が3割を占める奈良市が不参加となった場合の財政シミュレーションは存在するか」と県会の建設委員会で質問しました。ほとんど誰も真面目に取り合わなかったのではないですか。
奈良市が協議から離脱したのは昨年10月、葛城市は12月に不参加を表明しました。単独経営の継続を決断した2つの市の水道に共通する特徴は何でしょうか。豊富な自己水と低廉な料金、安定した経営です。葛城市は県内で最も水道料金が安く、奈良市は2番目に安い。それと2つの市とも、市民から参加に反対する署名が相当数集まっていました。
一体化の不参加を奈良市長が表明する前のことですが、市議(共産)が水道料金の行方を調査したことがありました。一体化の企業団が事業開始をする直前、赤字団体は5市町村程度と想定されています。前県政は安い水道料金で一体化の企業団をスタートする予定だったので、初年度から減収減益となり、赤字は19市町村のエリアに拡大するため、黒字の奈良市内から徴収される水道料金は、一体どこに移転し、どんな穴埋めに使われてしまうのだろうかと問題提起されております。同じく黒字の葛城市、大和郡山市内で集められる料金の行方についても、応用して考察することができると思います。
奈良市水道の代表的な水源は布目ダムですね。建設工事では山添村の方々に大変お世話になりました。地形を生かした自然流下1万メートルの導水により、市営緑ケ丘浄水場では1立方メートルあたり69円で水道水が製造できるのです。しかし県営水道は130円と割高です。はるばる紀の川上流吉野川の大滝ダムの水を下流の下市町で取水し、御所浄水場に導水して、北の生駒市まで運んでいるので高くついてしまうのです。
では、単独経営の継続を決めた葛城市の水源はどこにあると思いますか。意外に思われるかもしれませんが、市内のため池です。江戸時代に築造された8つの農業用ため池の水を市営浄水場3カ所に導水し、おいしい水にして各家庭に届けています。自己水源の比率は8割近くに達し、これが県内一安い水道料金を実現しています。
ため池といえば、皆さんの住む奈良市にも蛙股池や大渕池、広大寺池など素晴らしい池がたくさんありますね。風致地区にある蛙股池などは、日本書紀に出てくる菅原池ではないかともいわれています。ため池は大和の原風景たる水辺。これらを水道水源に活用する葛城市の取り組みは、地域資源の在り方や健全な水循環に通じる一つのモデルになると思います。
市が一体化に参加すれば、これら3カ所の市営浄水場を廃止し、大滝ダムの県営水道100%に転換するよう前県政から求められていました。ダムの水が余っています。県の試算では、葛城市と大淀町については料金面で統合の効果が現れないので、別料金(セグメント方式)でよいと荒井前県政は譲歩していました。
阿古市長は昨年12月16日、市議会の県域水道一体化調査特別委員会で一体化に不参加の方針を表明しました。現在の経営状況からすると、一体化に参加することも、単独経営を続けることも、どちらも選択できる立場にあることを説明されています。しかし市営浄水場がすべて廃止されることにより市民が抱くであろう喪失感を不問にすることはできないとし、さらに、ため池を活用した浄水は市独自の文化であるとも述べました。近年、政治家の言葉の中で、これほど心に響いてくるものはありませんでした。
一体化参加反対の署名を集めた葛城市の市民グループ作成のポスター。「奈良の声」の記事写真が使用された
奈良市水道100年の遺産を歩く
昨年9月30日は、奈良市が水道の給水を開始してから100年を迎えました。横浜市や大阪市など、明治から営んでいる輝かしい先輩水道がありますが、奈良市は大正時代、1922年の創業です。誇るべき歴史を有しています。
でも、ひっそり寂しい100周年でした。祝賀の行事や記念誌の刊行は一切なし。せめて広報紙で市民に伝えたいと企業局の職員は言っていたのですが、それもなかった。半世紀前、正確には今から51年前の鍵田忠三郎市長の時代、50周年の式典が西部公民館で開かれ、重厚な「奈良市水道五十年史」が刊行されました。
この五十年史ですが、500ページに及ぶ大作です。最初の40ページぐらいは平城京の水道、中世の水道、近世の井戸水などが詳細に語られます。そして本題の50年史が始まるのでした。見事な記録です。
100周年の行事を見送った理由は、やはり県域水道一体化のうねりが背景にあったと思います。参加・不参加の決断を迫られ、緊迫した雰囲気の中で祝賀の機運など片隅に追いやられてしまったのでしょうか。
せっかくの100周年なので、私は奈良市の水道遺産をテーマに散策会を企画しました。まち歩きを演出する老舗で「大阪あそ歩」という府内の団体の主催で実現し、私がガイドを務め、県内外から参加者がありました。
出発地点は近鉄奈良駅前の中筋町。そこから玄昉伝説の大豆山町を通り、奈良奉行が住んでいた坊屋敷町から奈良女子大学の横を通って佐保川のほとりに着きました。ここでまず立ち止まってもらうことにしました。万葉の歌枕として名高い河川ですが、実は水道水源の候補だったのです。市は、飯盛山北部の佐保川に貯水池を設ける構想も持っていました。
しかし複雑な水利権が張りついたかんがいの河川であり、内務省の許可が降りませんでした。春日山の水谷川上流を掘削して地下水を得ることも検討されましたが、水量が少なかったといいます。
散策会は佐保川を後に、京街道の方向を目指しました。奈良市の水道水源は、ついに京都の木津川の水を頂くことで決着します。水源探しに苦労した先人の思いを振り返ってみようと、北に向かって歩いたのでした。ほどなく、重厚な赤れんがの建物に出くわします。明治建築の旧奈良監獄(旧奈良少年刑務所)ですね。そのすぐそばに、ぽつねんと立つ小さな赤れんがの建物こそ、奈良市水道100年の遺産なのです。計量器室だった建物で、市営木津浄水場から市街地に運ばれてくる水の流量が適度かどうか、チェックする施設でした。
旧計量器室を後に、今度は転害門の方向に京街道を少し下って、正倉院の辺りを目指して歩きます。南東の方向に向かえば東大寺の二月堂に近づいていき、古風な土塀が続きます。
二月堂を右手に見ながら、子院・宝珠院前を通る小道を歩き、急坂をずんずん上り詰めますと、もう一つの水道100年遺産にたどり着きます。高地区配水池の点検用入り口だった建物です。先ほどの赤れんがとは打って変わって、こんどはコンクリート造り。小さいけれど、建築史家が「古典主義のファサード」と称した堂々たる風情の近代化遺産に出合うことができます。
仮に奈良市が一体化に参加する選択をして、今回の地方選で知事の交替がなかったとしたら、これら水道遺産は取り壊され、跡地は売却されていたのではないでしょうか。前知事の命を受けた西奈良県民センター跡地売却への動きなどをたどってみますと、何だかそう思えてくるのです。
奈良県庁は近代化遺産、近代建築の思想が弱く、省線時代最後の社寺風駅舎であるJR奈良駅舎や、高畑サロンと呼ばれて文化人の来歴が輝く志賀直哉旧居に対し、何の葛藤もなく平気で取り壊すつもりでした。保存運動が起こり、たくさんの署名が集まり、志賀旧居は学校法人が、駅舎は奈良市が保存に名乗りを上げ、貴重な建築物が残されました。
奈良女子大前の旧鍋屋交番も、県警が取り壊す予定でしたが、自治会、まちづくり団体、奈良市役所の見事な連携で保存・修理され、このほど国の登録有形文化財になりました。欲を言えば、交番は県の建物だったので、それを思いますと、奈良市の水道遺産群は市直営の水道事業によって誕生したものです。早く市の指定文化財にしてもらえるよう願ってやみませせん。
大正時代に建設された奈良市水道の遺産、旧高地区配水池点検用入り口=2022年1月18日、奈良市雑司町
水源涵養という住民参加
本日は冒頭、住民参加という地方自治の命題について触れました。水道事業における住民参加は、どのような形が描けるのか考えてみました。審議会の公募委員になるのもよいけれど、まずは水道水源の涵養(かんよう)活動に住民自身が身を乗り出すことが大事ではないでしょうか。
奈良盆地に住むからには、足元の大和川水系流域をじっくり見つめたいものです。ごみ拾いの清掃キャンペーンに参加するだけでは飽き足りません。代表的な水道水源はやはり、葛城市の江戸期築造ため池が匹敵するでしょう。水源の森をみんなで育てることに夢が広がります。
昨秋、兵庫県明石市内で開かれた、水道に関する学習会を取材しました。長年、使用してきた明石川の水質に課題が出てきたそうで、予想される薬品費の上昇、浄水場を更新する多額の費用などを勘案しつつ、河川からの取水を中止することが決まったようです。これまで全水道の3割ぐらいを明石川から賄ってきましたが、やめるので、そのうちの半分の量を初めて阪神水道企業団から受水し、もう半分を、県営水道からの増量受水によって賄うという計画です。
従来通り、自己水源の地下水浄水場は全体の30%を賄いますから、それほど大きな水源転換だとは思わなかったのですが、とても熱心な学習会でした。市の上下水道部から出前講座のスタイルで職員4人が訪れ、丁寧に解説し、これでもかというほどの質問が次々と会場の参加者から出ました。
正直、奈良は明石に負けたな…と思いました。水道広域化の話なんか何も出ていませんよ。水源転換という課題だけで、これほど市民の関心が高いわけです。奈良県においてはここ数年の間、橿原市や磯城郡、北葛城郡、生駒郡などで盛んに水源転換が行われ、自己水の地下水浄水場を廃止し、県営水道100%の態勢に変わりましたが、何か学習会などは開かれたでしょうか。
まして県域水道一体化という命の水の事業主体の大きな変更がなされようとしているのに、寄らば大樹の陰、長いものに巻かれよということで、ひっそり、広域化に移行していく市町村が多いのではないでしょうか。
水源地と水道消費地の絆について、時々思いを巡らすことがあります。一体化の主水源は紀の川上流吉野川の大滝ダムであって、長い導水距離に象徴される遠い水源です。中心部がダムに沈んだ川上村は、500年の林業の歴史があり、国内でも代表的な優れた住宅用材であるスギ、ヒノキを産出していると先ほど申し上げました。一体化に参加する自治体は、これからの公共建築に川上産の人工美林を使うということも、水道のパートナーとしての姿勢かもしれません。
一体化の受け皿となる広域水道企業団の本部は、橿原市でもよいが、いっそ、水源地の川上村に置いてもよいのかなと思います。京奈和道の御所南インターを下りて国道169号に向かえば、それほど遠い村ではありません。
県都・奈良市であれば、市民の水がめ、布目ダムの山添村との連携がいよいよ試されそうです。ダム建設によって水没した48世帯の生活再建に努力された村ですが、今度は村民自身が飲む簡易水道の施設の近くに、81ヘクタールもの広さの太陽光発電事業が浮上しました。一昨年秋に現地見学会が開かれましたが、多くの奈良市民が駆けつけました。私も参加し、帰りにみんなで布目ダムを見学しました。「恩返しをしようじゃないか」と漏らす人もいました。
そこには、奈良市が一体化に参加しないことを求める住民運動に取り組む人々もいました。これがわれらの水道水源か、と厳粛な面持ちで湖面を見つめていました。水没する以前の布目川(木津川水系)がいかに魚類の宝庫であったか解説する村議の話を静かに聞き入っていました。
先ほどお話した明石市は、ため池王国と呼ばれる播磨の国に位置します。かいぼりといって、年に1度の池の泥さらいに住民も一緒に泥んこになって参加する行事があるそうです。ため池に対する人々の愛を感じます。押し出された池の泥が水路を通って河口から海に出てゆき、泥の養分が沿岸漁業にプラスのようだと漁業者が評したという話も聞きました。水系一貫の世界が感じられます。
明石川の取水は廃止されますが、これまで河道外貯留といって、古いため池を整備した野々池貯水池に河川の水を引いてため、浄水場に導水してきたそうです。140万トンほどためることができて、なかなか立派です。通常のダムのように、河川を横断する構造物を設けてせき止めてしまう方法ではないので、環境にも良いでしょう。その半世紀の歩みを学んでみたいと思います。
県域水道一体化構想は、住民に身近な大和川水系・流域の市営浄水場を積極的に廃止し、代わって、遠い紀の川上流吉野川の大滝ダムからの導水が加速していきます。農業用水のため池開発の先例として知られる、倉橋ため池(桜井市内)から水道水源を取水することもなくなります。
初瀬ダム、天理ダムという大和川水系で県が存在をかけて築造した2つのダムが水道水源としての役割を終えます。着工するときは、洪水対策にも利水にも役立つ多目的ダムだと宣言したのに、治水だけのダムになるなんて、もったいない投資です。浄水場廃止ありきで一体化を進めたからに相違ありません。
県が主導してきた一体化だけが水道の正義ではなく、全国を見渡すと、自治を守りながら広域連携を工夫するさまざまな水道が存在します。まずは身近な大和川水系・流域の秘められた水源を見つめ直し、情報交換したいです。ご清聴ありがとうございました。 関連記事へ
水道一体化により水道水源としての役割を終える県営初瀬ダム=2023年1月20日、奈良県桜井市初瀬