奈良県)天理・柳本飛行場跡の説明板撤去で市民現地を歩く 強制連行の歴史確認フィールドワーク
↑柳本飛行場の防空壕跡(奥の小山)の前で高野さん(右から二人目)の説明を聞く参加者=2014年11月8日、天理市
↑柳本飛行場の1500メートル滑走路の名残をとどめる直線道路。脇にコンクリートの舗装面が一部残っている=2014年11月8日、天理市
天理市が市内の柳本飛行場跡に設置していた、朝鮮人労働者の強制連行や朝鮮人女性の慰安所の存在に関する説明板を撤去した問題で、再設置を求めている市民団体「天理・柳本飛行場跡の説明板撤去について考える会」(藤原好雄、米田哲夫共同代表)は8日、現地でフィールドワークを実施、参加者約40人が点在する施設跡を巡った。
同市遠田町の市立式上公民館を基点に約5キロを歩いた。同飛行場跡の歴史の発掘に関わっている市内の元高校教諭、高野真幸さん(63)が案内した。
柳本飛行場は太平洋戦争末期、海軍が本土決戦に備えて建設したとされる。長さ1500メートルの滑走路の名残をとどめる直線道路の脇にコンクリートの舗装面が残っていたり、通信施設などに使われた防空壕(ごう)が田畑の中に小山のように残っていたりする。住宅地の一角には、飛行場建設で徴用された朝鮮人労働者の宿舎の一つだったとみられる建物が朽ちながら現在も残っている。さまざまな戦争遺跡を前に「保存はどうなっているのか」などと質問する参加者もいた。
慰安所があったとされる場所で、高野さんは「終戦直後、慰安所に取り残された朝鮮人女性は食べるものが無く、メチルアルコールを飲んで飢えをしのがざるを得なかった。強制性を示す証拠」と説明した。慰安所は朝鮮人労働者のために設けられたという。海軍の管理区域内あり、軍が関与していたことを示しているとした。
香芝市の男性(69)は「軍のある所には必ず慰安所がある。軍の関与は間違いないと思う。はっきりさせる必要がある」と話した。大阪府八尾市の男性(71)は「慰安婦などをめぐる主催者の主張を受け入れるかどうかは別にして、飛行場跡を実地で見て、軍が本土決戦に備えようとしていたことがよく分かった」と話した。
考える会の米田代表は歩き終えた後のあいさつで「現地を歩いて確認できた。あったことをなかったことにする捏造(ねつぞう)をしてはいけない」と述べた。
説明板は同市遠田町の公園に設置されていたが、市に対し、強制連行はなかったとして撤去などを求める意見がメールや電話であり、ことし4月撤去された。【続報へ】