天理・柳本飛行場跡の説明板撤去で市民集会 大阪陸軍造兵廠の朝鮮強制労働体験者に聞き取り、空野弁護士が講演
大阪陸軍造兵廠の労働者として強制動員されたという韓国人から聞き取りを実施し、明らかになったことを説明する空野佳弘弁護士=2016年4月15日、天理市守目堂町の市男女共同参画プラザ
朝鮮人の強制連行や慰安所設置の記述がある、奈良県天理市の柳本飛行場跡の市説明板が撤去された問題で、説明板撤去について考える会(米田哲夫代表)は15日、同市守目堂町の市男女共同参画プラザで、市民集会を開いた。53人が参加し、大阪市の軍需工場で強制労働を体験したという韓国人生存者からの聞き取りに最近成功した、調査団の報告などに耳を傾けた。
大阪府朝鮮人強制連行真相調査団の日本人側事務局長・空野佳弘弁護士は、「歴史修正主義との闘い」と題して講演した。調査団は、アジア最大の兵器工場といわれた大阪陸軍造兵廠(しょう)の労働者として強制動員されたという韓国人男性3人から、昨年9、11月の2度、聞き取りを実施。空野弁護士は、証言で明らかになったことを説明した。
空野弁護士によると、韓国政府真相究明委員会(昨年末解散)が発表した強制動員名簿を翻訳したところ、大阪陸軍造兵廠を連行先とされている人が多数いることが判明。同委員会に確認すると、十数人の生存が分かったという。大阪陸軍造兵廠は大阪城の隣にあった。敗戦時、6万3000人の工員がおり、うち1319人が朝鮮人だったとされている。しかし、これまでは労働の実態や死亡者の氏名、数など不明な点が多かったという。
3人は洪東周さんらで、いずれも90代。連行時は未成年だったという。講演に先立ち、聞き取りを収めた録画が上映された。洪さんらは、里長(日本人とみられる)による動員の命令には逆らえなかったこと、工場での労働に対し給料は支払われなかったこと、工場を対象にした米軍の空襲で朝鮮人の工員が犠牲になったことなどを、この間のことのように語った。日本からの謝罪や補償などは、現在までないという。
今の大阪城公園には、こうした歴史を踏まえて大阪府などが設置した「大阪城公園内に残る戦争の傷あと」と題する銘板があり、朝鮮人の強制連行にも触れている。これに対し、銘板の撤去や文言の修正を求める声があるといい、空野弁護士は「歴史修正主義派による改変要求」と批判。日本政府として真相を究明することや、正しい歴史を教育に反映させることが必要と訴えた。
集会では最後に、天理市に説明板の再設置を求めるとともに、柳本飛行場の歴史を後世に伝える活動を続けていくことを、参加者全員で確認した。
柳本飛行場は太平洋戦争中の軍事施設。市は95年、同市遠田町の公園内に飛行場跡の説明板を設置した。説明板には、教員を中心とした市民団体の聞き取り調査などを踏まえて、飛行場建設の際に朝鮮人労働者の強制連行や朝鮮人女性の慰安所設置があったとする記述があった。しかし、市は2014年4月、「強制性については議論がある」などとして撤去した。「在日特権を許さない市民の会」が当時、市に対し抗議したことを表明している。
【戦前・戦中の日韓関係】
戦前・戦中の日本と韓国の関係では、日本は1910年、韓国を併合し、植民地化。土地調査事業を実施し、広大な農地、山林を接収、一部を日本の国策会社や日本人に払い下げた。皇民化政策を進め、日本の神社への参拝や日の丸掲揚、宮城遥拝、創氏改名などを強いた。朝鮮に対し、1943年に徴兵制を施行、1944年に国民徴用令を適用した。国家総動員法に基づく国民徴用令では、一般国民を強制的に軍需産業に従事させることができた。
(記事最後の【戦前・戦中の日韓関係】は4月20日に追加)【続報へ】