「強制連行」標的 外部指摘で誤って撤去指導 奈良天理・柳本飛行場跡、歴史伝える説明板
柳本飛行場跡に市民団体が設置した朝鮮人強制連行の歴史を伝える説明板と団体共同代表の高野真幸さん=2020年6月3日、奈良県天理市長柄町
天理市の担当者(右)に質問書を手渡す市民団体の人たち=2020年6月4日、天理市役所
奈良県天理市の太平洋戦争末期の軍事施設、柳本飛行場の跡に市民団体が設置した朝鮮人強制連行の歴史を伝える説明板に対し、市側が誤って撤去を指導し、のちに撤回していたことが分かった。撤去指導のきっかけは、市外在住者からの農地法違反の指摘。しかし実際は違反に当たらなかった。
農地法違反を市に指摘した人のものとみられる投稿がツイッター上にあり、「強制連行」を否定する主張を展開している。
柳本飛行場跡の説明板を巡っては、市が1995年に作成した説明板ー強制連行された朝鮮人が飛行場建設に動員されたとの記述があるーが市内の公園に設置されていたが、2014年、市外部から、記述の修正や説明板の撤去を求める意見があったのを機に撤去された。
市は当時、撤去の理由について「強制性については議論があり、説明板を設置しておくと、市の公式見解と誤解される」と説明した。
市は、今回の誤った撤去指導について「一貫して農地法に基づく事案として対応したものであり、市の権限や能力を超えた歴史認識に関わる案件には、今後も関与を控えたい立場であることを理解いただきたい」と釈明しているが、市民団体は不信感を募らせている。
新しい説明板は、2014年の説明板撤去を機に発足した「天理・柳本飛行場跡の説明板撤去について考える会」(共同代表、高野真幸さんら5人)が主体となって、以前の設置場所とは別の同市長柄町の水田地帯の一角に立てた。昨年4月13日、除幕式が行われた。韓国にも同じ説明板を設置する計画。
「考える会」は引き続き、市に以前の説明板の再設置を求める一方で、「きちんとした歴史を伝えるために」との思いから、カンパを募って新しく説明板を作り、民有地を借りて設置にこぎ着けた。
大きさは縦1メートル、横1.2メートルで鉄製。飛行場の建設に当たって、多くの朝鮮人が労働者として朝鮮半島から強制連行されたことや、連行された朝鮮人女性の慰安所があったことが、当事者や関係者の証言から明らかになったとする説明がある。文章は日本語と朝鮮の文字ハングルの両方で書かれ、戦闘機が並ぶ当時の飛行場の写真や地図も添えられている。道路に面した田のあぜの部分に立っている。
農地法違反の指摘が初めて市にあったのは昨年6月3日。市によると、市外在住者から市秘書広報課に対し電話で、説明板について農地転用を許可しているのかとの問い合わせだった。以降、複数回電話があり、市農業委員会事務局が対応したが、指摘への対処の状況などを尋ねられたという。名前は名乗ったという。
農地法では、農地を貸す場合には農業委員会の許可、さらに農地以外のものに転用する場合には都道府県知事の許可が必要。説明板は転用許可を受けていなかった。同事務局の説明や記者が開示請求した公文書によると、同事務局は県担い手・農地マネジメント課に相談、同課が農林水産省近畿農政局に問い合わせたところ、転用許可が必要との回答があった。
これを受けて同事務局は6月19日、場所を貸した土地所有者に対し、農業委員会名の文書で説明板の撤去を通知した。ところが、8月5日、一転して撤去指導を撤回した。理由について、近畿農政局から「小規模で簡易な看板等については農地転用に該当しない」と、当初と異なる見解があらためて示されたためとした。
1986年の農水省通知「広告用看板に係る農地法上の取扱いについて」が現在も有効かどうかで、近畿農政局の判断が揺れた。当初は、同通知による取り扱いは行っていないとの判断だったが、その後、農水省農村計画課から現在も有効であるとの情報提供があった。
ツイッターの投稿者はこの間、同事務局とのやりとりを報告する内容の投稿を続けた。この中で「強制連行は事実に反するので撤去せよ」「政府見解とも異なるでたらめな説明板」などと説明板を攻撃した。
市は、これらの投稿について知っているとした。
「考える会」は、一連の経緯について並河健市長らから説明を受けたが納得しておらず、6月4日、あらためて市に並河市長あての質問書を提出した。
柳本飛行場の正式名は大和海軍航空隊大和基地。建設は1944年に始まった。広さは300ヘクタールに及び、長さ1500メートルの滑走路などを備えていた。同飛行場の強制連行や慰安所に関わる資料の発掘に取り組むグループが、飛行場建設に従事した朝鮮人労働者ら当時を知る関係者への聞き取り調査などを重ねて、強制連行などの実態を解明してきた。2014年に撤去された説明板は、その成果を踏まえて設置されたものだった。 関連記事へ