ジャーナリスト浅野詠子
関西広域)浅野孟府の昭和初めごろの裸婦像が現存 東京の愛好者が所有 大阪・大東ゆかりの彫刻家
見つかった昭和初めごろの浅野孟府の裸婦像=東京都北区豊島8丁目の野原さん宅(本人提供)
大正期の新興美術運動で活躍し、大阪府大東市内にアトリエが現存する彫刻家、浅野孟府(1900~1984年)が93年前の1927(昭和2)年、先端を行く写真雑誌の懸賞賞品として提供した裸婦のブロンズ像(高さ30センチ)が、東京都内の美術愛好者宅に現存することが分かった。
東京都北区豊島8丁目に住む野原正勝さん(75)が4年ほど前、台東区浅草で開かれた骨董(こっとう)市で購入した。台座に「mofu」の刻名がある。マネキンの祖型を思わせるハイカラな姿で、両手を肩に乗せ、今にも歩き出しそう。
裸婦像は、神戸ゆかりのモダニズムの写真家、淵上白陽が1927年に創刊した写真評論誌「PHOTO REVIEW(フォト・レビュー)」の美術写真大懸賞応募作品の一等賞に賞品として贈られた。淵上を研究する名古屋市立美術館学芸員の竹葉丈さんが2006年、同美術館研究紀要の中で紹介している。
孟府は大正時代、二科急進派の青年美術家グループ「アクション」で活動し、前衛各派が合流した「三科」同人にもなった。昭和初年からプロレタリア美術運動に参加し、国家の弾圧を受けている。戦後は具象一筋の作家として人体の美を追求した。
裸婦像を見つけた野原さんは、大正から昭和初期にかけての美術品の愛好者。「骨董市の主催者は、アバンギャルド時代の浅野孟府の作品はほとんど世に出ることがなく、大変珍しいと言っていました」と話している。 関連記事へ