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発行者/奈良県大和郡山市・浅野善一

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コラム)「生きる」を助ける 障害者アートの可能性―播磨靖夫のまなざし/川上文雄のじんぐう便り…16

陶製のマンボウ(縦9センチ、横8センチ)

陶製のマンボウ(縦9センチ、横8センチ)

 全国の障害者施設でおこなわれている絵画制作などのアート活動。「福祉施設での余暇活動の一環にすぎない」という理由で、作品はアートとしての価値が低いと見なされた時代がありました。そこに現れた播磨靖夫さん(履歴は「追伸」に)。新しいまなざしを障害者アートに向け、「社会的に価値の低められたものを市民の力で高めたい」との思いから、1995年に市民がになう芸術運動「エイブル・アート・ムーブメント」を始動しました。

 播磨さんが「エイブル・アート」すなわち「可能性の芸術(アート)」と名付けた理由。それは、障害のある人たちのエネルギーに満ちた表現活動を、人間性を回復させる新しいアートとしてとらえ、そこにさまざまな可能性を見いだそうと考えたからです。その可能性のなかでとりわけ大切にしたものの1つ。それは「障害のある人が自由と尊厳のなかで生きる可能性」でした。播磨さんにとって、「エイブル・アート」は「<生きる>を助けるアート」だったのです。

 以下、2つのことを取りあげます。1つは、「障害のある人が自由と尊厳のなかで生きる可能性」について播磨さんはどのように考えたのか。もう1つは、この可能性に関連して、運動をになうのは市民であると考えた播磨さんは、市民に対して何を期待したのか。

 まず「自由と尊厳」の「自由」について。播磨さんが逝去する前年の2022年、あるシンポジウムで聞いた発言のメモがあります。「アートは障害者が得た唯一自由になるための手段」

 意外な言葉でした。私は播磨さんが理事長だった障害者支援の社会福祉法人の評議員を務めていたので、長い付き合いのなかで播磨さんの考えはおおかた知っていると思い込んでいました。そして新鮮な言葉でもありました。障害のある人たちの生き方を「自由」の視点で考えたことがなかったので。なお、メモにある「唯一」の語は、播磨さんの先駆者としての自負を感じた私の付け足しだったかもしれません。

 この自由は「自立」の意味での自由ではありません。つまり、「福祉施設での余暇活動を超えたアートの世界で自由に羽ばたく」とか「自立した個人の(名前で呼んでもらえる)アーティストとして認められる(作品が売れるなど収入を得るようにもなる)」という意味での自由(=自立)ではない。

 そのような「自立」の事例は、最近はめずらしいことではなく、たしかに播磨さんもそれを喜んでいた。しかし、播磨さんにはそれ以上に大切なものがありました。自立でなく自律。「“自立”は近代のイデオロギーで個人主義だけども、自ら律する“自律”、つまりオートノミーは、人間の尊厳にかかわる概念」と播磨さんは言います。「それ以上に大切なもの」とは尊厳の感情。自由に生きる(自律)とは「尊厳の感情をもって生きる」ことです。

 つまり、自尊心。同情されることに甘んじない。「何をするにも不自由な人間」という「優越者のまなざし」で見られて、しかし同時に暖かく同情される。それは受け入れない。「困難をかかえて生きている人たちだから、支援しなければならない。それほど価値のあるアート(作品)ではないけれど、福祉の観点から支援しなければならない」というような「福祉フィルター」を通した評価を播磨さんは拒絶した。

 アートで自分を表現して、作品を他の人たちに見てもらい、感動を呼び起こす。そのように、障害のある人の「生きる」を助けるアートには、その作品を見る人の「生きる」を助けるという半面があります。播磨さんがめざしたのは、作品が仲立ちになって、障害のある人とそうでない人が、同情とは無縁な対等の関係でつながることでした。

 それでは、私たち外部の人間は、障害のあるアーティストとその作品に具体的にどのように関わっていけばいいのか。播磨さんの次の言葉を手がかりに考えていきます。「市民は単なるアートの消費者ではない。アートの供給者は一部のプロだけではない」

 「消費者としての市民」とは以下のようなことでしょうか。プロの学芸員をそろえる美術館の展覧会に行き、作品の迫力に衝撃を受ける。複数のアーティストの展覧会であれば、それぞれの線、色、かたちで来場者を迎えてくれる。すばらしい体験です。

 しかし、障害のあるアーティストと同じく、私たちはアートの供給者にもなれる。その事例の1つが、昨年7回目を迎えた催し「六条山プライベート美術館」です。

 六条山は、奈良市六条地区の小高い丘。そこに建つのは播磨さんが理事長だった社会福祉法人が経営する障害者施設「たんぽぽの家」(奈良市六条西)。この施設と同法人経営のもう1つの施設を利用するアーティストたちの作品が、六条地区とその近辺にあるさまざまな場所で展示されます。スーパーマーケット、個人経営の店舗、高齢者施設、幼稚園、高校、医院などそれらの場所の集まり全体を美術館に見立てた催しです。なお、個人宅で展示して楽しむだけの、一般公開はしないかたちで参加している人もいます(私はその1人)。

 「アートの供給者としての市民」の姿は、展示作品が選ばれるプロセスのなかに認められます。施設スタッフの何人かが作品を選んで、施設付設のギャラリーで展示する。そこへ招待状をもらった店舗などの代表者が来訪して、自分たちのところで展示したい作品を選んで帰る。

 そこには障害のあるアーティストたちとの対等な関係が実現しています。一方で地域の人たちは、「作品がコミュニティのなかで輝くように」と支援の思いで参加している。他方で、障害のあるアーティストは作品を制作して、コミュニティをアートで輝くものにしている。協働して、アートで輝くコミュニティを作っている。

 以上のことは、アートは狭義の「作品づくり」に限定されないということです。さまざまな仕事・立場・境遇にある人たちを豊かにつなぐ技もアート。このアートなら、私たち外部の人間を含めたすべての人が(障害のある・なしにも、作品づくりをする・しないにも関係なく)参加できるでしょう。

 そのアートに参加して、生きることの喜びを分かち合ってほしい。そのように、次の言葉のとおりに、播磨さんは私たちを誘っています。「アートを通して個人の尊厳を尊び、その表現に敬意を払い、生きることの喜びを分かち合う。これが、これからの世界のあり方」(「アートリンクから生まれる新しい生命のかたち」より)。

 この言葉は「<生きる>を助けるアート」について語った至言です。そして「これからの世界のあり方」という語句で、これからの新しい社会づくりを考えてほしいと、誘っているのだと思います。

 誰もが「そんなことは不可能だ」と言っても、可能性を信じてあきらめず挑戦し続けた播磨さん。人と人を豊かにつなぐ技としてのアートに生涯をささげた播磨さん。その生き方にふさわしいタイトルの遺著が1月末に刊行されます。「人と人のあいだを生きる:最終講義エイブル・アート・ムーブメント」(解説・鷲田清一、どく社)。昨年末に女子美術大学でおこなった講義を200ページほどの本にしたものです。

【追伸】

 輝かしい履歴とは不釣り合いなほどに簡略ですが、播磨さんの履歴は以下のとおりです。「葬式もいらない、墓もいらない」と死期を前にして播磨さんは言っていたそうなので簡略に、というわけではないのですが。

 播磨靖夫。1942年生まれ。毎日新聞記者、フリーのジャーナリストを経て、財団法人たんぽぽの家理事長(1980年より)、社会福祉法人(障害者福祉)わたぼうしの会理事長(1987年より)。いずれも昨年10月に82歳で逝去するまで務めた。ほかに、日本NPOセンター代表理事(1996年11月?1999年6月)など。2022年、芸術振興の功績により文化功労者。

 以下は播磨さんの仕事の根拠地「たんぽぽの家」について書いたコラムです。

コラム)福祉施設の小さな憲法、その大きなちから/川上文雄のじんぐう便り…5 こちら

(随時更新)

川上文雄

 かわかみ・ふみお=客員コラムニスト、奈良教育大学元教員、奈良市の神功(じんぐう)地区に1995年から在住

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