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地域の埋もれた問題に光を当てる取材と報道


浅野善一

検証)奈良・平城宮跡隣接の住宅地、歴史公園計画に翻弄される 立ち退き後に知事代わり、体験施設が白紙に

中止になった歴史体験学習館計画の用地。かつて道路の両側には住宅が立っていた。奥は平城宮跡に復元された朱雀門=2024年12月6日、奈良市二条大路南3丁目、浅野善一撮影

中止になった歴史体験学習館計画の用地。かつて道路の両側には住宅が立っていた。奥は平城宮跡に復元された朱雀門=2024年12月6日、奈良市二条大路南3丁目、浅野善一撮影

 奈良市の平城宮跡(特別史跡)に隣接していた小さな住宅地は、国、県の宮跡を中心とした歴史公園計画に翻弄(ほんろう)された。住宅地は、県が計画した公園施設「平城宮跡歴史体験学習館」の用地として丸ごと立ち退きの対象となり、住民が培ってきた地域のつながりは途絶えた。しかし、立ち退きがほぼ完了したころに知事が変わり、新しい知事は同施設の必要性を疑問視して計画を中止した。住民の将来を左右する公園計画はどのように検討されたのか。

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国営公園化、荒井知事誕生が出発点

 平城宮跡歴史公園計画の出発点は2007年4月8日の荒井正吾氏の知事初当選だった。荒井氏は立候補に当たり、力を入れる施策の一つとして平城宮跡の整備を挙げた。公約をまとめた当時のパンフレットに次のようにある。「平城宮跡は(中略)奈良観光のゲートウェイ(出入り口)かつ日本の歴史文化体験のメッカとして、日本の一大観光・文化の拠点となるよう、整備します」

 荒井知事が公約の実現に向け着手したのは平城宮跡の国営公園化だった。平城宮跡ではそれまで、文化庁の下で宮殿の復元整備などが進められてきたが、整備の主体が国土交通省に代わることで、より大きな事業予算とそれによる宮殿復元の進展などを期待できた。

 5月3日、荒井氏は知事に就任すると、間髪を入れず、関係機関への要望活動を展開した。同月7~8日には奈良市長と連名で財務省、文部科学省、文化庁、国土交通省などに国営公園化を要望。7月には国に対し、平城宮跡の国営公園化を2008年度政府予算に反映してもらえるよう要望した。県が当時作成した平城宮跡に関する「主な要望関係 経緯」の一覧表によると、同年12月までに行った要望活動は10件に及ぶ。

県営公園区域として宮跡隣接地を取り込み

 国営公園化といっても、県が考えていたのは単なる平城宮跡の国営公園化にとどまるものではなかった。荒井知事の選挙公約に「日本の一大観光・文化の拠点となるよう、整備します」とあったように、県内部で検討されていたのは国営公園区域での宮殿復元だけでなく、宮跡の隣接地域を平城宮跡歴史公園の県営公園区域として取り込み、そこに県が拠点となる観光施設を整備することも含めたものだった。

 そうした経緯は、県が業者に委託して2008年3月にまとめた「平城宮跡の国営公園化に向けての検討業務」報告書から知ることができる。「奈良の声」は同報告書を2013年に県への開示請求で入手した。

 報告書の中の「県営公園と国営公園の役割分担」と題する部分。公園整備に当たっては、特別史跡平城宮跡と史跡平城京朱雀大路跡の国営公園化だけでなく、県営公園区域として宮跡の周辺地区を加えると述べている。そのうちの一つ「朱雀大路周辺地区」は朱雀大路跡の東西両側の空間で、東側の方に歴史体験学習館が計画された。報告書では「歴史文化体験館」と呼ばれていた。

 朱雀大路周辺地区は、奈良市中心部に向かう幹線道路「大宮通り」(県道奈良・生駒線)に面しているという地の利があった。報告書は同地区を「平城宮跡だけでなく、奈良観光全体のエントランス」と位置付け、整備する施設として「歴史文化体験館」をはじめ、「休憩所兼飲食施設」や「公園案内センター」「平城宮跡展示館」「バス、タクシーターミナル」「奈良県観光案内センター」を挙げた。

 一方で、朱雀大路周辺地区は平城宮跡のような国有地の草原と違って、市街地の一部。住宅地や店舗、会社事務所、工場があった。しかし、142ページに及ぶ報告書の中で、同地区を含む平城宮跡周辺の土地の利用状況に関する記述は「主に住宅地と農地であり、南側で一部、工業地がみられる」という一文だけだった。公園整備に住民らの立ち退きが伴うことの是非を検討したものはなかった。

 国交省も県と同時期に業者に委託して「史跡を活用した国営公園の整備検討業務」報告書をまとめており、同省のホームページで公開した。県の報告書と同様、朱雀大路周辺地区については「エントランスゾーン」と位置付ける一方、平城宮跡周辺の土地の利用状況については県の報告書と同様の一文があるだけだった。

 県、国交省の両報告書の委託先は同じ(一般社団法人日本公園緑地協会)だった。

短期間で基本計画、立ち退き触れる機会なく

2009年に都市計画決定された平城宮跡歴史公園の計画区域。朱雀大路跡西側の観光施設と同東側の平城宮いざない館は2018年に開業(「奈良の声」作成)

2009年に都市計画決定された平城宮跡歴史公園の計画区域。朱雀大路跡西側の観光施設と同東側の平城宮いざない館は2018年に開業(「奈良の声」作成)

平城宮跡歴史公園の検討が進められていた2008年当時の朱雀大路跡周辺。歴史体験学習館予定地には住宅が立ち並んでいた=国土地理院の地図・空中写真閲覧サービスの画像から「奈良の声」が作成)

平城宮跡歴史公園の検討が進められていた2008年当時の朱雀大路跡周辺。歴史体験学習館予定地には住宅が立ち並んでいた(国土地理院の地図・空中写真閲覧サービスの画像から「奈良の声」が作成)

 国営公園化構想は具体化に向け、素早く進んだ。構想を打ち上げた荒井氏の知事就任から1年となる2008年5月、国交省の近畿地方整備局国営飛鳥歴史公園事務所はこれら報告書の検討結果を踏まえ、「平城宮跡歴史公園基本計画検討委員会」を設置した。委員には関係分野の有識者や行政機関関係者ら16人を選任した。地域住民や公募の委員の枠はなかった。

 行政機関の委員を除く有識者の委員(肩書きは当時、国交省が公表)は、朝廣佳子氏(読売奈良ライフ代表取締役社長)、尼﨑博正氏(京都造形芸術大学教授)、上野誠氏(奈良大学教授)、大西有三氏(京都大学大学院教授)、佐藤信氏(東京大学大学院教授)、田中哲雄氏(東北芸術工科大学教授)、西村幸夫氏(東京大学大学院教授)、平野侃三氏(委員長、東京農業大学名誉教授)、藤井恵介氏(東京大学大学院准教授)の9人。

 9月末までの4カ月に4回の会議が開かれた。会議は報道関係者に公開された。

 会議は、公園事務所が示した案に委員が意見を述べる形で進んだ。国交省、県がそれぞれ事前にまとめた先の検討報告書では、公園区域や公園内のゾーニング、公園施設が具体的に練られていたが、公園事務所は委員会に対し一挙にではなく段階的に案を示していった。

 公園事務所ホームページで公開されている会議記録を基に、歴史体験学習館に関わる部分を追うと、2008年5月27日の第1回委員会では「計画策定に当たっての基本的な考え方」として、想定される公園全体の計画区域などが文字のみで示された。「県営公園」の表現や当該場所の特定はないものの、「国営公園のエントランス機能として必要な区域をこれらの史跡隣接地に確保すべき」と言及。

 6月20日の第2回委員会では基本計画の「素案」として、公園の検討区域が地図で示された。「確保」する「隣接地」が具体的になり、その一つに平城宮跡の南側に隣接する朱雀大路周辺地区があった。同地区を「メインエントランス」と位置付け、そこに県が「歴史・文化交流施設」や「観光ゲートウェイ施設」を整備するとした。

 「歴史体験学習館」の名称が登場するのは7月30日の第3回委員会。この日示された基本計画の「案」の「基本計画平面図」などによって、その位置や性格が明らかにされた。朱雀大路跡の東西両側に整備するものとして、歴史体験学習館をはじめ、観光案内所や飲食・物販施設、交通ターミナル、平城宮跡展示館が記されていた。9月29日の第4回委員会では、8~9月に実施したパブリックコメントを経て修正された基本計画案が示された。

 議事録によると、4回の会議を通して、委員会が公園の計画区域住民の立ち退きに触れる場面はなかった。公園事務所から委員に対し、公園の計画区域のどこにどれくらいの住民が住んでいるかという情報の提供はなかった。

 ただ、地域住民への影響を念頭に第3回委員会で次のような意見もあった。

 朝廣委員が尋ねたのは住民への説明の実施についてだった。「地域の方々にパブリックコメントとは別に何か話をしていくのか」。公園事務所は「これまで数回、この委員会に計画やこういった図面等を出すに当たり、事前に自治会の役員にお話をさせていただいている」「生活に密着している話も多いので、きちんと説明させていただきたいと思っている」と説明した。

 平城宮跡中央を南北に縦断している道路「みやと通り」が公園化に伴って宮跡外に移設される点について、上野委員は「(地域住民が)生活空間が分断されるというイメージを持たれる」と述べた。

 こうした道路の移設問題などを捉えて、尼﨑委員は議論の進め方について問い掛けた。「利活用の上位に観光資源が出てくる一方で、住民の方々の生活の場であるという現状認識がどうしても後回しになるというか(中略)本当にこれでいいのかとの検証がまだまだ必要ではないかという気がする」

 尼﨑委員のような声もあったが、基本計画案は短期間でまとめられたという。公園事務所は最終回となった第4回委員会を、自ら次のように述べて締めくくった。「これだけのものがこの4カ月の間の非常に短い期間でまとまったことについて、委員長を含めた委員の皆さま方に厚くお礼を申し上げたい」

 パブリックコメントの結果にも触れておく。188通の意見が寄せられたが、この時点では将来予想される立ち退きを問題視する意見はなかった。

「奈良の声」質問に委員1人が回答

 「奈良の声」は2023年5月(山下真知事が歴史体験学習館計画を中止する前)、有識者の委員9人に質問の文書を送り、以下の点を尋ねた。

1)基本計画で示された歴史体験学習館の整備に伴って一つの住宅地が丸ごと立ち退きになることについて、飛鳥歴史公園事務所から説明はあったか。またはこの立ち退きについて認識はあったか。
2)歴史体験学習館予定地をはじめ、都市計画決定によって立ち退く人たちがいる地区を視察する機会はあったか。
3)どの施設予定地でどれだけの世帯の立ち退きが予想されるか、検討委員会での説明の必要性についてどのように考えるか。
4)一つの住宅地の住民を丸ごと立ち退かせ、一観光施設を建設することの必要性についてどのように考えるか。

 回答があったのは尼﨑氏1人。平野、藤井の2氏は断りの連絡があり、朝廣、上野、佐藤、西村の4氏は応答がなかった。大西、田中の2氏は質問を届けることができなかった。

 尼﨑氏は電話で「立ち退きの話は出ていなかった」とした上で、「委員会の性格もあったのだろう。国交省に所管が移って整備計画を作るといったら、われわれは学術的な立場で文化財保護のために(平城宮跡)全体を博物館のような性格のものにした方が良いとかいうレベルの話はするが、それによって土地買収が行われ、そこに居られる住民の方のお気持ちがどうだというところまでは話はなかったと思う。関係する方々には都市計画決定をする前に(説明を)するのだろうが、(立ち退きは)大きな問題ではある」とした。

 当時の委員会配布資料のスケジュールによると、第1回委員会の際に「現地視察」を行ったことになっている。尼﨑氏は「史跡、遺跡は見て回ったかもしれない。この部分で立ち退き(があるというような視察)、それはなかったと思う」とした。

 委員会への説明の必要性については「本来はした方が良いが、委員会の性格というのがあって、主催者もそれは次の段階の話と考えていたのだろう。こうした検討委員会の議題の流れからいうと、そこまでは普通はいかない。良いのか悪いのかは別にして」とした。

 観光施設建設のための立ち退きについては「返事にはなっていないかもしれないが、立ち退く人の気持ちまでくみ取った、親身になった、どんな支援が必要なのかしっかり理解して、それを小まめにするということだろうか」と語った。

住民意見書「市民参加が欠落」

 最終回の検討委員会から程なく、国営公園化に向けた手続きは次の段階に移った。県は、検討委員会を経て決定された基本計画を踏まえ、2008年10月上旬、公園の位置や区域の都市計画決定に向けて、地元説明会を開始。都市計画決定は県が行う手続きで、質疑応答の内容は県のホームページで公開された。

 説明会は4カ所で開かれた。平城宮跡に最も近い市立都跡小学校で開かれた説明会では、住民は立ち退きや計画の進め方について疑問をぶつけずにはいられなかった。民有地は朱雀大路周辺地区などの県営公園区域だけでなく、特別史跡の平城宮跡区域の一部にもある。

 「用地を買収したら住んでいる人はどうなるのか」「(国有化された)平城宮跡の敷地内の整備の話であれば良いが、新たな用地買収や一条通りの移転のあるこのような計画であれば撤回してほしい」

 「地元関係者が誰も入っていない学識経験者だけの検討委員会で、この公園計画が決められても何の意味もない」「いろいろな意見を出しても、都市計画審議会の先生方がやりましょうと決めればそれで決まるのか」「われわれが納得してはじめて審議会を開催していただきたい」

 これに対し県は「事業に着手することになれば、公園内にお住まいの方に事業にご協力いただくための説明の機会を設け、用地買収の手続きに入る」「いただいた意見は都市計画審議会に提出する」「(計画に対する住民の)ご理解を得られるよう努力させていただく」などの説明を繰り返した。

 地元説明会、住民らが意見を口述できる11月2日の公聴会を経て、県は都市計画決定案を作成、案の公告・縦覧を実施した。縦覧の期間中、住民や利害関係者は意見書を提出することができた。意見書は2通あったが、うち1通は国営公園区域となる同市佐紀町の自治会長、住民からのものだった。この住民の目には国や県のやり方は一方的と映った。

 「都市計画決定の段階においては、所定の手続きにとどまらず、可能な限り市民参加が保障されなければならない。しかしながら、公園整備計画の策定に当たって、たった4回の開催で結論に至った委員会においては、住民や一般市民の参加はなく、意見を聞く場も設けられず、また、パブリックコメントについても、多くの住民が知る由もなく行われており、市民参加が全く欠落している」

 この間、10月28日には平城宮跡の国営公園化が閣議決定された。

 2009年2月17日に開かれた県都市計画審議会(会長・斎藤峻彦近畿大学教授)は、平城宮跡歴史公園の都市計画決定案を賛成多数で承認した。県からは地元説明会で出た意見や縦覧の際の意見書の紹介もあった。議事録によると、質問したり意見を述べたりしたのは、出席した委員18人のうち中野明美県議会議員(共産)だけだった。

 中野議員は、道路の移設による住民生活への影響、近鉄奈良線を地下化した場合の埋蔵文化財への影響、用地買収に伴う事業費の増大などを理由に、都市計画決定案に反対した。

 審議会の委員は行政機関や議会などの公職者に偏っていた。県都市計画審議会条例に基づく委員25人の構成は、学識経験者8人、関係行政機関の職員7人、県議会議員6人、市町村の首長を代表する者2人、市町村議会の議長を代表する者2人。このうち関係行政機関職員の委員である県副知事と国交省近畿地方整備局長は、平城宮跡歴史公園の計画立案の当事者。一方、公職を持たない市民の委員の枠はない。

 近鉄線の扱いは荒井知事時代に平城宮跡外への移設が計画されたが、その後、山下知事が中止を決めている。

 2009年3月6日、県は平城宮跡歴史公園の都市計画決定を告示した。荒井氏の知事就任から2年、計画が公になり、公開の場での検討が始まってから1年足らずで、建築制限や土地の強制収用を伴う都市計画公園の決定に至った。

 都市計画決定された平城宮跡歴史公園の面積は約132ヘクタール。平城宮跡(特別史跡)を中心とした国営公園区域約122ヘクタールと、これに隣接する県営公園区域約10ヘクタールから成る。2020年12月には南側地区約5ヘクタールが県営公園区域に編入された。

用地買収の新聞報道に住宅地動揺

歴史体験学習館予定地にあった住宅地。左の男性は写真撮影当時の自治会長=2020年11月、奈良市二条大路南3丁目、浅野善一撮影(画像の一部を加工しています)

歴史体験学習館予定地にあった住宅地。左の男性は写真撮影当時の自治会長=2020年11月、奈良市二条大路南3丁目、浅野善一撮影(画像の一部を加工しています)

 都市計画決定から9年後の2018年11月21日、歴史体験学習館予定地の二条大路南三丁目自治会は、当時の荒井知事に宛てて「平城宮跡歴史公園事業に伴う用地買収に関する要望書」を提出した。要望書の前文からは、用地買収が住民に大きな不安を与えていたことが伝わってくる。

 「公共事業に伴う用地買収は、憲法が保障する基本的人権を公共の福祉により制限する性格を有していることを、各担当職員一人一人が重く受け止めて対応してくださるようお願いします。

 当自治会員には高齢者が多く、特にそうした方々にとって、用地買収に伴う移転は精神的にも肉体的にも非常に大きな負担となるので、移転が体調を崩したり命を縮めたりする要因となったりすることのないよう、丁寧な対応をお願いします」

 住民が用地買収について知ったのは要望書提出の9カ月前。2018年2月16日付の新聞報道によってであった。記事は県の報道発表を受けたもので、国交省から都市計画事業の認可を取得したことを受け、計画している歴史体験学習館の2025年度の完成を目指して用地買収に着手するというものだった。事前に県から地元への説明はなく、住民には寝耳に水だった。

 県の計画では、平城宮跡入り口の朱雀門(復元)正面の朱雀大路跡(史跡)の東側約0.9ヘクタール(9000平方メートル)に、公園施設として歴史体験学習館を建設するというもの。ここに二条大路南三丁目自治会の大半を構成する20世帯(法人を含む)の住宅地があった。

 住宅地の中心となるのは小規模な分譲住宅地。開発が行われたのは40年余り前、1970年代の末。当時の様子を国土地理院の地図・空中写真閲覧サービスで確認すると、周りは現在ではあまり見られない田畑が多かった。世帯数は少ないながら自治会は住民同士の交流に努めてきた。夏の地蔵盆行事が恒例になっていた。

 住宅地に動揺が広がる一方、同じ県営公園区域の朱雀大路跡西側はすでに大きく変容していた。積水化学工業関連の工場が移転し、2018年3月、一足早く飲食店や土産物店、駐車場などのエントランス施設が開業。また、朱雀大路跡東側の国営公園区域でも国交省の展示施設「平城宮いざない館」が開業した。一帯は「朱雀門ひろば」と名付けられた。

「自治会なくしてまで必要か」

 県が事業に着手するに当たって開いた地元説明会で、立ち退きの対象となった住民はどうして自分たちが犠牲を払わなければならないのか答えを求めた。説明会は2018年3月から2019年2月にかけて3回開かれた。「奈良の声」は県への開示請求で議事概要などを入手した。

 質疑応答でのその住民の声の幾つか。「国交省で整備した平城宮いざない館との違いは何か」「自治会をつぶしてまで必要と言えるのか。平城宮跡内の別の場所に建築できないのか。地元との協議も不十分であり、計画自体を白紙に戻して、再度検討すべきではないか」

 自治会がなくなることに対しても「自治会には何十年も培ってきた地域のつながりがある。優先的に、大宮通りの南側の積水工場跡地等に、自治会そのものを移転することは検討できないのか」「自治会がなくなる、ということを重く捉えていただき、ただ事業を進めるというのではなく、移転先等の個別相談について突き放さずに対応いただきたい」など。

 また、県の事業の進め方を巡っては「本日の(第1回)説明会の案内は約1カ月前だった。その後、すぐに整備について新聞に掲載された。本来説明会が先にあってしかるべき」「国に事業認可を申請する時点で地元への周知は必要だった。地元の協力を得るにあたり、まずは地元住民の立場に立って考えて」など。

「実物大の正倉院つくりたい」

歴史体験学習館の予想図(右下、県が2020年12月にまとめた整備計画から)。正倉院の外観を模した校倉(あぜくら)式が特徴となっている

歴史体験学習館の予想図(右下、県が2020年12月にまとめた整備計画から)。3棟で構成される建物のうち、道路に面した1棟が正倉院の校倉(あぜくら)式を模した外観となっている

 歴史体験学習館計画には荒井前知事の思い入れがあった。地元説明会や用地交渉の進捗状況について、県の担当者が知事に伝えた内容を記録した「知事面談結果」「知事レク」を、県への開示請求で入手した。知事は「実物大正倉院をつくりたい。中は(宝物の)レプリカ美術館」「あの時代について、展示よりも体感できる工夫を」「イメージは、ハウステンボスにある画面が動いて座席が揺れるシアター」と、県平城宮跡事業推進室(当時)の担当者に自らアイデアを示し、検討を指示していた。

 県は、歴史体験学習館の機能やデザインなどの検討に当たっては、外部の有識者の意見を聞くため、2018年7月、「平城宮跡歴史公園歴史体験学習館整備検討委員会」(委員長・増井正哉大阪市立住まいのミュージアム大阪くらしの今昔館長、15人)を設置したが、会議は非公開だった。

 同検討委員会は県付属機関条例が定める付属機関の一つで、県の「審議会等の会議の公開に関する指針」に基づいて公開が原則。しかし、委員会は「多くの利害関係者がおられることにより、委員の率直な発言に支障が生じる恐れがある」など、非公開が認められる基準に該当するとして、山下知事が計画中止を表明するまでに開かれた12回の会議で、一度も果たされなかった。

 加えて、県は委員の名簿さえ公開していなかった。県が毎回の会議後に県ホームページで公開する議事概要に記載されていたのは、出席した委員の氏名のみで、全委員の氏名やそれぞれがどのような立場にあるのかを示す肩書きは不明なままだった。取材に対しては名簿の内容を明らかにしていたが、「奈良の声」が「公開すべき」と指摘を続け、ホームページでの公開に至ったのは12回目の会議の議事概要を掲載したときだった。

 歴史体験学習館の概要は、検討委員会による検討の過程で2020年10月に実施されたパブリックコメントで明らかになった。建物は3棟から成り、それぞれが「平城京へとつながる歴史体験エリア」「奈良時代の文化・くらし体験エリア」。このうち大宮通りに面した「正倉院の宝物体験エリア」の建物が正倉院を模した外観になる予定だった。用地買収費を含めた事業費は約50億円が見込まれていた。

 2020年3月、県議会予算審査特別委員会で、歴史体験学習館の必要性を問うた共産党の委員を荒井知事が繰り返し揶揄(やゆ)する一幕があった。委員長だった小泉米造県議会議員(当時)に2021年7月、知事の態度の是非について「奈良の声」は見解を求めた。ベテラン議員でもあった小泉氏は「(知事は)国を動かして財源を確保し、次々いろんなものを建てている。今までの知事ではできなかったこと。平城宮跡の整備に力を注いできたという思いが強い」と語った。

新知事が大型事業見直しを断行

 計画が中止へと一転したのは2023年4月の山下真氏の知事就任後。山下氏は現職の荒井氏を破って知事に初当選した。山下知事は、選挙公約でもあった荒井知事時代の大型事業の見直しを断行。その一つとして歴史体験学習館計画の中止があった。

 山下知事は就任直後の6月12日の会見で「(歴史体験学習館予定地周辺には)すでに立派な建物が数多くあるが、あまり客が入っていないと言わざるを得ない」との見解を示し、新たな施設の建設を疑問視。その上で「まず既存施設で集客の努力をした上で、それで施設が足りないのであれば建物の建設を考える」との見通しを示した。

 用地買収の対象となった土地は30件で、この時点で29件の地権者との契約が済んでいた。建物の撤去もほぼ終了していた。用地買収費20億円強(2018年3月、地元説明会の際の県の説明)のうち3分の1は国の補助金。2023年6月22日の県庁内部での山下知事に対する「知事レク」(県開示文書)で県地域デザイン推進局長は「(計画中止に代わる)整備方針は、国庫を返還しなくてもよい内容にすることが必要と考えている」と説明した。

先行の観光施設、入館者数低迷

朱雀大路跡の西側に整備された遣唐使船(復元、右)と観光施設の天平うまし館(左奥)=2024年8月、奈良市二条大路南4丁目、浅野善一撮影

朱雀大路跡の西側に整備された遣唐使船(復元、右)と観光施設の天平うまし館(左奥)=2024年8月、奈良市二条大路南4丁目、浅野善一撮影

 山下知事が言及した県営公園区域の朱雀大路跡西側の先行の観光施設の入館者数は、2018年の開業当時に比べると低迷していた。県公園企画課によると、主要施設のうち、食事と買い物ができる天平うまし館に併設されている遣唐使船の見学者は開業翌年の2019年度に31万人を数えたが、コロナ禍で大きく減少、その後、再び増加に転じたものの2023年度は11万人にとどまった。天平みはらし館VRシアターの入館者数は2019年度には10万人あったが、2013年度は5万人だった。

 一方、朱雀大路跡東側の国交省の平城宮いざない館はコロナ禍の時期を除けば、ほぼ横ばいで2023年度は23万人だった。

 平城宮跡歴史公園全体の入園者数は、飛鳥歴史公園事務所の調査によると、コロナ禍の時期を除けば例年100万人を超えており、2023年度は124万人だった。同事務所が毎年16日間の調査日を設けて実施している入園者へのアンケート調査では、半数前後が県内の居住者。

 歴史体験学習館計画中止に対し、奈良市などの地元から意見はあったのか。県公園企画課長補佐によると「2024年4月に着任したが、把握している限りではない。前任者からの引き継ぎもなかった」という。

 取得した用地の今後の利用方法については、2024年5月に県が設置した県観光戦略本部の平城宮跡周辺エリア部会で検討する。部会の主な委員は外部の有識者で、同課長補佐は「県は素案を出していない。部会に方針を決めてもらう」としている。

花壇の世話続けた住民たち

 平城宮跡の国営公園化と並行して、県が2008~2010年度に実施した大宮通り景観まちづくり事業は、住民参加を掲げた取り組みだった。朱雀門前の大宮通り前後1.2キロを対象に、県の支援の下、住民が勉強会の成果を踏まえて、歩道への花の植栽や沿道看板の縮小・撤去、店舗などの景観に配慮した色への塗り替えに取り組んだ。宮跡を会場とした平城遷都1300年祭を2010年に控えていた。

 景観まちづくり事業に参加した住民は事業終了後も「ゆめみあーと」という団体をつくって、県が通りに設置した花壇の一部で花の苗植えや水やりなどの世話を続けた。取り組みを伝えてきた奈良市ホームページでは、2019年11月まで活動情報が更新されていた。

 平城宮跡を観光名所として生かそうとする県の大きな施策の中に、国営公園化も歴史体験学習館計画も大宮通り景観まちづくり事業もあった。しかし、国営公園化と歴史体験学習館計画に住民参加の機会はなかった。どちらの検討委員会にも県都市計画審議会にも、地域を構成する住民の委員はゼロだった。

 こうした点について記者の旧知の奈良市職員の見解は「利害関係者となる住民がが加わるのは難しい」だった。

計画中止の連絡、元自治会長「受けていない」

建物の撤去が進められていたころの歴史体験学習館予定地。住民が育てていたとみられる花が住宅跡地に咲いていた=2022年4月、奈良市二条大路南3丁目、浅野善一撮影

建物の撤去が進められていたころの歴史体験学習館予定地。住民が育てていたとみられる花が住宅跡地に咲いていた=2022年4月、奈良市二条大路南3丁目、浅野善一撮影

 知事が交代する前の2022年10月、歴史体験学習館予定地の用地交渉が難航していた2件の土地の関係者に現地で取材した。賃貸長屋の地権者は「当初は反対していたが、今は反対していない。(県との交渉)は円満にいっているので、もうおいといて」と語った。事務所の土地を借りている借地権者の会社代表者は「県は来ているが他人に話すようなことはない。計画に賛成も反対もしていない」と語った。県公園企画課によると、いずれの土地も2023年度末に買収の合意ができたという。

 記者は2024年8月、県が用地買収に着手した当時の二条大路南三丁目自治会の元会長男性(57)に会った。県から用地買収の説明があったときの自治会員は22世帯(うち法人4、用地買収の対象地域外2)。単身の高齢者は最終的に5人でいずれも60代半ばの男性だった。身寄りがなく自分1人の力だけで転居できるか不安を抱えていた人もいたが、県から可能な範囲での支援はあったという。

 2008年の都市計画決定に向けた地元説明会の段階では、自治会や住民はどう受け止めていたのか。元会長は「そんな話があるのかというぐらいの感じだった。具体的に(事業化が)いつというのがなかった。説明する県自体にも予想がつかず答えられなかったのだろう」と振り返った。

 自治会恒例の地蔵盆行事は2020年7月23日が最後になった。奈良の観光のためなら用地買収に協力しようという空気は自治会内にあったのか。「分からないが、そんなふうに思わないと受け入れらない」と皆の気持ちを想像した。

 住民の移転先はほとんど把握できていないが、大半は同じ奈良市内と思われるという。自身も奈良市内で移転先を見つけた。一方で遠く出身地の九州へ移転した人や隣の京都府木津川市に移転した人もいたという。

 計画が中止になったことについて県から連絡は受けていない。元会長は「“平城宮跡が良くなる”。自治会の皆さんはそういう気持ちで移転していった。しかし、現在は中途半端な状態。きちんと整備してもらわないと立ち退いた意味がない」とし、県に対し「皆、高齢なので(元気なうちに整備された姿を)確認できるよう進めてもらえれば」と望む。

平城宮跡国営公園化の経過

2007 5月 荒井正吾氏が知事就任。前月の選挙で初当選
知事、奈良市長が平城宮跡の国営公園としての整備を財務省、文部科学省、文化庁、国土交通省などに要望
7月 県が平城宮跡の国営公園化を2008年度政府予算で要望
2008 3月 県の「平城宮跡の国営公園化に向けての検討業務」報告書が完成
5~9月 国交省が平城宮跡歴史公園基本計画検討委員会を設置、4回にわたって開催
8~9月 国交省が基本計画についてパブリックコメント実施
10月 県が平城宮跡歴史公園の都市計画原案の住民説明会(奈良市内4カ所)
平城宮跡の国営公園化が閣議決定される
11月 県が都市計画原案の公聴会
12月 国交省が平城宮跡歴史公園基本計画を決定
県が平城宮跡歴史公園の都市計画決定案の告示と縦覧、意見書受け付け
2009 2月 県都市計画審議会が平城宮跡歴史公園の都市計画決定案を承認
3月 県が平城宮跡歴史公園の都市計画決定を告示
2010 3月 文化庁が復元を進めた第一次大極殿が完成
4~11月 県が平城遷都1300年祭を開催
2018 2月 県が国交省から歴史体験学習館計画の事業認可を取得
住民が新聞報道で事業認可知る
3月~2019年2月 県が住民対象に事業説明会(全3回)、用地買収着手へ
3月 朱雀門ひろば開園
7月~2022年12月 県が歴史体験学習館整備検討委員会(第12回まで開催)
11月 地元自治会が荒井知事に用地買収で丁寧な対応求める要望書
2020 10月 県が歴史体験学習館計画についてパブリックコメント実施
12月 平城宮跡歴史公園南側地区を県営公園区域に編入
2022 3月 国交省が復元を進めた第一次大極殿院大極門(南門)が完成
2023 5月 山下真氏が知事就任。前月の知事選で現職の荒井氏らを破り初当選
6月 山下知事が荒井前知事時代の大型事業の見直しで歴史体験学習館計画を中止。用地買収の対象となっていた土地30件のうち、この時点で29件の買収が済んでいた
2024 9月 県観光戦略本部平城宮跡周辺エリア部会(第1回)で歴史体験学習館用地の利用方針を検討

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