視点)地域の関心遠のく 大和郡山、不起訴無罪の精神障害者病棟 15日で開設10年
開設10年を迎えた奈良県大和郡山市内の医療観察法病棟=2020年7月5日、同市小泉町の国立病院機構やまと精神医療センター
心の調子を乱して行動を抑制できずに人を傷つけ、刑事責任が問われない精神障害者を収容する近畿第1号の病棟が2010年7月、奈良県大和郡山市小泉町の国立病院機構やまと精神医療センターに設置され、きょう15日で10年。病棟の存在を知らない若い世代が増えている。開設当時は、市内から2万8000人の反対署名が集まった。
2005年施行の心神喪失者等医療観察法(法務省・厚生労働省共管)に基づき全国に設置された精神科病棟の一つ。自傷他害の恐れのある精神病者を拘束する措置入院制度(知事の行政処分)は、退院後の監視が不十分などの意見がかなり以前からあり、呼応した国は2001年1月、刑法「心神喪失無罪」の対応に向けた会議の初会合を開催、その5カ月後、児童無差別殺傷の大阪教育大学付属池田小事件が起きた。犯人は責任能力があり、観察制度の対象にはならないが、事件を機に、小泉純一郎政権は急ピッチで法案をまとめた。
通り魔専用病棟という誤解が広がり、大和郡山市民の反対署名においても投影されている。家庭内の事件がもとで収容される人々が多く、薬物療法に反応して回復し内省すれば退院できる。しかし、空前の凶悪犯罪直後にできた病棟であり「観察病棟帰り」などの烙印(らくいん)を押される人が後を絶たない。
再犯は科学的に予測できないとして、法案に反対した旧民主党が政権を奪取してからも病棟は増え続けた。法案の賛成に回った自由党(小沢一郎党首)と民主が合流したからで、以来、医療観察法の人権課題を取り上げる国会議員はほとんどいなくなった。法案に反対した医師らが制度をけん引し、制度を批判していた看護師、保健師らも施行後は沈黙している。
記者は、医療観察制度の主務官庁の一つ、法務省奈良保護観察所の社会復帰調整官らが年に1度開く、自治体や医療機関などとの連絡協議会を毎年、10年間にわたり傍聴してきた。
傍聴の扉が開かれたきっかけは、県内に住む小林時治さん(元産経新聞社員)の申し入れによるものである。同観察所は、各保健所や関係医療機関など協議会の構成団体に対し、会議公開の是非を打診し、了解を得て、公開している。
専用病棟のある大和郡山市の住民や同市議の姿は傍聴席にない。地域の関心は遠のいた。傍聴すれば、内実が少しは分かる。収容された加害者のうち約7割の人が不幸な事件に及ぶ前、地域福祉サービスを一度も利用していない事実を知ったこともある。
海外には触法精神障害者の福祉に向き合う国がある。「イタリアのトリエステでは、刑務所や拘置所への精神保健の出前がある」と、現地を視察したジーナリストの大熊一夫さんは2015年、大阪府岸和田市内で講演したときに紹介している。医師やソーシャルワーカー(相談員)、塀の中の精神障害者を看護師が徹底して介助し、日本の医療観察法病棟に当たる司法精神病院に送られる人がいなくなったという。当地では、触法障害者は健常者と同様に公開の裁判を受ける。
記者はこれまで、医療観察法の収容を経験した当事者の男女5人から話を聞いた。うち2人については家族にも会い、母親1人、夫1人と面談した。自宅放火の容疑により家族とは断絶したが、患者仲間が支援する男性にも取材した。この当事者5人のほか、本人にはまだ会っていないが、家族2人に話を聞いた。
重い体験について取材に応じることのできる当事者は共通している。事件後も、家族や友人らとの温かい人間関係が中断しなかった人たちである。
大多数の収容者が沈黙しているだろう。制度は建て前としては社会復帰を唱えているが、入院が長期化し、日本特有の社会的入院現象に組み込まれていくケースもある。「退院後、賃貸住宅の入居が困難なことがある」と国の担当者は話す。
身柄を拘束される人々は、自分にかけられた容疑を十分に釈明することが困難な障害を持つ。鑑定結果が間違っていても、処遇を決めるための地裁の審判がやり直されないなど、通常の刑事事件と比べて省略が見られる。精神障害者はいまもって2級市民扱いされているのではないかと、疑問が消えることのない10年だった。 関連記事へ