西奈良県民センター跡地 閉館前、自治会関係者に売却否定 「公園としての利用考えていく」
建物が撤去され更地になっている西奈良県民センター跡地。奥は都市公園として供用が開始された併設の運動場と児童公園=2021年1月26日、奈良市登美ケ丘2丁目
奈良県が、売却を決めている奈良市登美ケ丘2丁目の西奈良県民センター跡地について、閉館前の地元自治会関係者との面談では売却を否定していたことが、住民が入手した県の文書で分かった。同センターが都市計画公園「県立大渕池公園」の計画区域内にあることから、「公園としての利用を考えていく」と説明していた。
方針が売却へと転じた理由について、県は庁内のファシリティマネジメント推進本部(本部長・荒井正吾知事)での検討の結果としている。県は跡地を公園の計画区域から外す準備に入っている。
文書を入手したのは住民でつくる「西奈良県民センター跡地利用を考える会」(関口年弘・世話人代表)。同会は、跡地を売却しないよう県に求めている。文書は、県協働推進課(当時、現在は青少年・社会活動推進課)が2015年9月28日の二名地区自治連合会長との面談内容を記録した「会議等要旨メモ」。
メモによると、自治連合会長は「県庁に来たので立ち寄った」と述べている。西奈良県民センターの閉館を半年後に控え、同会長は「県としては売却は考えていないのか」と質問。同課の担当者は「考えていない。都市計画上、公園区域であり、基本的に公園としての利用を考えていく。1種低層住専等の建築規制もあり、民間業者が思い通りに建築できる場所ではない」と答えている。
これに対し、同会長は「自然公園としての利用もよいが」「小さくてもよいので、市民が交流できるサロン的なものがあればよい場所である」などと感想を述べており、担当者の説明を疑っていない。
同センターが完成したのは1971年9月。その翌年の1972年12月、センター敷地を含む大渕池周辺の25万1000平方メートルが、県立大渕池公園として都市計画決定された。
青少年・社会活動推進課は、跡地の売却を否定した当時のことについて「所管課のその時点での考えを述べたもの。都市公園として都市計画決定された区域内に入っていることを踏まえて素直な思いを述べたものだと思う」とする。「当時は公園を主軸に考えていた」とも述べた。
方針が売却へと転じたのはいつか、また、その理由は何か。
この面談以降の動きでは、2016年3月にセンターが閉館、同年4月、敷地5987平方メートルのうち、併設されている運動場と児童公園については都市公園として供用開始が告示される。
2019年3月、建物の撤去が完了、建物跡地2831平方メートルは同年6月、県の低・未利用資産に登録され、検討の場は全庁的なファシリティマネジメント推進本部に移った。県で活用しない場合は地元市町村に希望を聞き、なければ民間に売却するという方針に従い、跡地は2020年4月1日、県作成の低・未利用資産一覧表で、売却などを想定した「整理資産」に位置づけられた。
県は同年7月9日、地元奈良市に対し跡地の活用意向を照会、翌8月13日、奈良市から活用意向無しと回答があったことから、民間への売却方針を決定した。
青少年・社会活動推進課は跡地の低・未利用資産登録について「(課が所属する)くらし創造部(当時)としては、跡地を利用する予定がないと判断、登録を申し出た」とする。
一方、県公園緑地課は、建物の撤去が完了した時点では「跡地を公園として利用するのか、それ以外で利用するのか、決まっていなかった」とし、「推進本部で跡地活用の検討を始め、全庁的な検討の中で、公園としては活用しないという結論になった」とする。
公園緑地課によると、大渕池公園は現状で23万5000平方メートルで供用が開始されており、都市計画決定された区域の94%が公園として整備され利用されているという。同課は、跡地を公園として活用しないと判断した理由について「現状として総合公園としては十分機能している。都市計画決定は50年前で、周辺の様子も社会状況も大きく変化している」と説明する。
「西奈良県民センター跡地利用を考える会」は跡地の売却に納得しておらず、売却中止と文化活動などに利用できる防災施設を兼ねた公共施設の建設を求めて、署名活動を展開。あす27日、県庁を訪れ、約3000人分の署名を提出する予定。 続報へ