奈良・JR郡山駅広場の花時計、止まったまま 市が修理へ方向転換 「奈良の声」取材きっかけ、寄贈されたものと分かり
止まったままになっていたJR郡山駅西側広場の花時計=2025年4月14日、奈良県大和郡山市高田町、浅野善一撮影
奈良県大和郡山市高田町のJR郡山駅西側広場で、半世紀にわたって時を知らせてきた花時計が止まったままになっていたが、市はこのほど修理に着手した。いったんは、修理をせず「時計型のオブジェ」として残すことを決めていた。方向転換のきっかけは、忘れられていた花時計設置の経緯を「奈良の声」からの問い合わせで市が知ったこと。駅前広場整備に合わせ、大和郡山ライオンズクラブから寄贈されたものだった。
花時計は土台を含めて直径約6メートル。文字盤の中心に市章を配し、その周りを埋めるように季節の花が植えられている。添えられた銘板には市章の由来が記され、設置された年を示す「昭和五十二年十月」(1977年10月)の記述と当時の吉田泰一郎市長の署名はあるが、ライオンズクラブから寄贈されたものであることが分かる情報はない。
市内在住の記者は今月初めごろ、花時計の針が止まっていることに気付き、同月11日、市に修理の予定があるか取材した。担当の市管理課のそのときの説明は、2カ月前に市民から連絡があって針が止まっていることを把握、検討の結果、修理はせず、針を撤去して「時計型のオブジェ」として残すことを決めたというものだった。時計の時間が合っているかの確認など維持管理にかかる費用を考えてのことだとした。一方、設置の経緯については分からないとした。
記者は、花時計の思い出を聞ける人がいればと周辺を歩き、歴史がありそうな駅前の写真店に飛び込んだ。店主の西川達さん(76)は「花時計はライオンズクラブが駅前広場整備に合わせ寄贈したもの。テープカットの写真撮影を依頼された」と話した。記者は確認のため、ライオンズクラブ事務局に記録が残っていないか問い合わせるとともに、市企画政策課に対しても当時の市広報紙に記事がないか確かめてもらった。
1978年2月1日発行の大和郡山ライオンズクラブ機関紙に掲載された花時計寄贈の記事(国鉄は現在JR)=浅野善一撮影
ライオンズクラブの当時の機関紙に花時計寄贈の記事があることが分かった。柳生眞孝会長によると、記者からの問い合わせを受けた市からも連絡があり、機関紙の写しを持参したという。その際、市から「せっかく寄贈してもらったものを止まったまま置いておくよりは」と、修理の方向で対応していることを説明されたという。
一方、1977年11月1日発行の市広報紙「つながり」にも、同年10月21日に駅前広場の完成式とライオンズクラブ寄贈の花時計の除幕式が行われたことを伝える記事が掲載されていた。
あらためて市管理課に取材した。同課は「当初、担当レベルではライオンズクラブからの寄贈について把握していなかった」とした上で、「市の玄関口でもあり、きちんと修理し花時計として継続させていきたい」と述べた。現在、業者に針を動かすモーターを調べてもらっているという。
ライオンズクラブの柳生会長は「市の対応を喜んでいる。これからも末永く時計の役割を果たしてもらえたら」と述べた。